B B QUEENS - おどるポンポコリン
紅白だからバックが超豪華メンバーだわなw



さくらももこさんといえば、
ちびまる子ちゃんより、エッセイーを読んでましたね。
『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』
面白くて全部読んだ。

文才があるよね。

でも、
ちびまる子ちゃんを「3200万冊」も売ったってたいしたもんだわ。
一握りの漫画家さんであったってことだね。
夢が叶ってよかったって思います。
しかし、53歳とは若すぎだと思います。
もっと、長生きしなきゃぁ!



■2018年9月2日 18時26分(最終更新 9月2日 18時47分)
ORICON NEWS
『ちびまる子ちゃん』さくらさんをテロップ・ナレーションで追悼「ありがとうございました」

https://mainichi.jp/articles/20180902/orc/00m/200/022000c

「まる子、きょうだいげんかをする」(C)さくらプロダクション/日本アニメーション
 8月15日に53歳で亡くなった漫画家・さくらももこさんをしのび、きょう2日、さくらさん原作のアニメ『ちびまる子ちゃん』(毎週日曜 後6:00)は番組内容を変更し放送された。原作25周年記念として2011年10月に放送されたもので、アニメ第1話「まる子、きょうだいげんかをする」(1990年1月7日放送)をリメイクするなどした内容。番組エンディングではテロップ表示とナレーションで、さくらさんの死を悼んだ。

【写真】『ちびまる子ちゃん』お姉ちゃん役の声優 乳がんで死去 51歳

 エンディングテーマ終了後、テロップ表示とナレーションで「『ちびまる子ちゃん』の原作者、さくらももこ先生がお亡くなりになりました。心よりお悔やみ申し上げます。アニメ『ちびまる子ちゃん』は今後も続けてまいりますので、これからもよろしくおねがいします」と呼びかけた。その後、作品キャラクターが勢ぞろいしたカットとともに「さくらももこ先生、ありがとうございました」と感謝を伝えた。

 「きょうだいげんかをする」は、一冊のノートをめぐってまる子とお姉ちゃんの姉妹げんかを描く。まる子はじゃんけんに負け泣く泣くノートを諦めるも、お姉ちゃんにちょっかいを出したり、ノートに落書きをしてしまったり。まる子の愛すべきキャラクターやお姉ちゃんとの丁々発止のやりとりなど、作品の魅力が凝縮されたストーリーが展開する。

 放送を受け、SNSでは改めてさくらさんの早すぎる死を悼む声と共に、声優・水谷優子さん演じる“お姉ちゃん”の声が再び聞けたことにも感動の声が広がった。

 同話が放送された11年当時は水谷さんがお姉ちゃんの声を務めていたが、その後、水谷さんは16年5月に乳がんのため51歳という若さで亡くなっている。ネットでは「水谷さんだ…泣く」「久しぶりの水谷さんの声に感動」「水谷優子さんのお姉ちゃんの声がまた聞けるなんて」と、久しぶりに聞く水谷さんの声に感動や懐かしむ声が絶え間なく寄せられた。 



    当  ブ  ロ  グ  へ  の
    皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! あ り が と う ご ざ い ま す!







・<朝日新聞、内部文書入手>
16年南スーダン 陸自宿営地 被弾9カ所 弾頭25発 隊員 睡眠不安や音への恐怖 
・<朝日新聞、内部文書入手>
16年南スーダン 陸自宿営地 被弾9カ所 弾頭25発 隊員 睡眠不安や音への恐怖 
・<朝日新聞、内部文書入手>
16年南スーダン 陸自宿営地 被弾9カ所 弾頭25発 隊員 睡眠不安や音への恐怖 

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阿修羅 南スーダン陸自、被弾9カ所・弾頭25発 内部文書入手
https://digital.asahi.com/articles/ASL8Y7XJGL8YUTIL062.html
詳細は阿修羅でごらんになってください。


 南スーダンに派遣された陸上自衛隊の国連平和維持活動(PKO)部隊が2016年7月、ジュバで起きた武力衝突に遭遇した際、宿営地の施設9カ所が被弾し、小銃や機関銃の弾頭25発が敷地内から見つかっていたことが、朝日新聞が入手した陸自の内部文書でわかった。

 衝突時の模様は、防衛省が17年に公開した日報で一部明らかになったが、宿営地での被害や隊員の対応についての記載はなかった。当時は安倍政権が安全保障関連法で可能になった「駆けつけ警護」などの新任務を自衛隊に付与する検討に入っていた時期。野党の反発や隊員の家族の動揺を抑えるため、事実関係が伏せられた可能性がある。

 入手した文書は、北海道から派遣された第10次施設隊(中力〈ちゅうりき〉修隊長)が帰国後にまとめた「南スーダン派遣施設隊等(第10次要員)成果報告」(A4判86ページ)。半年間の活動記録のほか、銃砲撃戦に伴う被害状況やその後の対応策などが詳細にまとめられている。

 それによると、7月8日ごろに本格化した政府軍と反政府勢力の武力衝突は、7月10〜11日にかけて自衛隊宿営地の周辺にも拡大。日本の宿営地をはさんで銃砲撃が繰り返され、「戦車、迫撃砲の射撃を含む激しい衝突が生起し、日本隊宿営地内にも小銃弾の流れ弾等が飛来」した。

 約350人の隊員の大半は2回にわたって耐弾化された退避コンテナに避難した。しかし内部が狭く「居住性の観点から長時間の退避が困難」だったとある。

 事態が収束した数日後、被害調査したところ「小銃、機関銃等の25発の弾頭、施設に弾痕等9カ所の被害を確認」。監視塔の階段の手すりに小銃弾が貫通した跡があったほか、「直射弾による側壁等への被害」も3カ所見つかった。

 近くにいたルワンダ部隊の敷地には迫撃砲弾3発が着弾。うち1発は大隊長の執務室に命中するなどし5人の負傷者が出たとも書かれている。

 当時の中谷元防衛相は同12日の記者会見で「散発的に発砲事案が生じている」と説明。岡部俊哉陸上幕僚長も同21日の会見で宿営地の上空を銃弾が飛び交い一部が敷地内に着弾したことを認めたが、防衛省は詳細を明らかにしていない。安倍政権は「(この衝突は)戦闘行為ではなく、PKO参加5原則は引き続き維持される」として派遣を継続。16年11月に新任務を次の部隊に付与し派遣した。(谷田邦一)

南スーダンPKOとジュバ銃撃戦

 南スーダンの国造り支援のため、日本は2012年1月から17年5月まで約350人の施設部隊を11次にわたって派遣。道路などのインフラ補修や国内避難民の支援にあたった。13年12月と16年7月の2度、首都ジュバなどで大統領派の政府軍と元副大統領派の反政府勢力が武力衝突を起こし、16年には両勢力が自衛隊の宿営地をはさむ格好で銃砲撃戦を繰り広げた。

隣接する建設中のビルから眺めた自衛隊宿営地の全景=2016年11月、ジュバ、三浦英之撮影

銃撃戦監視 防弾でない建屋
隊員 睡眠不安や音への恐怖

 施設9カ所に被弾、弾頭25発確認――。南スーダンに派遣された陸上自衛隊の国連平和維持活動(PKO)部隊の宿営地が、2016年7月のジュバでの武力衝突で危険にさらされていた実態が明らかになった。被害の実態を伏せてきた政府の対応に問題はなかったのか。疑問視する声もある。

 朝日新聞が入手した「成果報告」の文書によると、自衛隊は宿営地の内外に設置した監視カメラを通じ、宿営地周辺での銃砲撃戦の状況を把握していた。

 画像を映すモニターは防弾化されていない指揮所と呼ばれる建屋にあったため、大半の隊員が耐弾化されたコンテナに避難する中、一部の隊員は指揮所に残って監視を続けた。

 衝突後、部隊は施設周辺に土囊(どのう)や鉄板を設置して防護を強化したほか、性能の高い防弾チョッキを新たに日本から取り寄せた。

 メンタルへの影響も明らかになった。部隊の医官らが隊員のカウンセリングを実施すると、「睡眠への不安」や「入眠障害・中途覚醒の症状」「音への恐怖心」が見られ、「帰国後の回復が順調に行われなければ、メンタル不調者(抑うつ傾向から自殺)の発生も予想される」などと文書に記載されている。

 防衛省は派遣部隊が作成した日報の隠蔽(いんぺい)疑惑にからみ、17年2月から3月にかけて、武力衝突の前後を中心に約100日分の日報を公開した。そこには「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」などとあり、「宿営地周辺の射撃事案に伴う流れ弾への巻き込まれに注意が必要」とあった。事態が悪化すればPKOが継続不能になる可能性にも言及していた。

 7月10日に宿営地周辺で起きた銃砲撃戦についても、宿営地の南側にあるビル周辺で銃撃戦が起き戦車砲弾がビルに命中したと書かれている。しかし隊員の安全がどのように確保されたのか、銃砲撃による被害などについての記述は見あたらなかった。

政府 新任務への反対考慮か

 安倍政権は16年10月に「武力紛争が発生したとは考えていない」として「派遣継続が適当」とする文書を公表し派遣延長を決定。11月以降、新任務が付与された次の部隊が派遣された。

 日報や活動記録は、一連の政府の決定前に公にされることはなかったが、もしこうした事実が事前に明らかになっていれば、国会の論議の流れが変わっていた可能性もある。

 軍事評論家の福好昌治氏は「政府は当時、武力衝突の全容を知っていながら意図的に事実を伏せたことになる。公表すれば隊員の家族が動揺し、駆けつけ警護など新任務の付与ができなかった恐れがある。武力衝突が小規模であったかのように見せ、安保法制の具体化を図ろうと考えたのではないか」と話す。(谷田邦一)

衝突「サプライズではなかった」
第10次隊長だった中力修1佐
南スーダンPKOの第10次隊長だった中力修1佐

 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)で陸上自衛隊の第10次隊長を務めた中力(ちゅうりき)修1佐(50)=現・第11旅団幕僚長=が朝日新聞の取材に応じ、当時の宿営地内の様子などについて語った。

 中力氏によると、政府軍と反政府勢力の衝突が始まった16年7月8日夜、ただちに約350人の隊員に屋内退避を命じて情報収集を開始。まず自衛隊が攻撃対象になっていないか確認した。

 「ドアを開けると頭上を(銃弾が)飛んでいた」ため「我々に銃口を向けられていないと認識できた」という。

 同年6月前後の現地入り直後から不測事態を想定した退避訓練を実施しており、「ふだんもっと過酷な訓練をしているのでサプライズではなかった」と話した。隊員たちへの影響については「調子が悪くなった隊員はいたが、帰国したり作業に支障をきたしたりした隊員はいない」という。

 被害状況は後日調査して把握。「何発か銃弾などをチェックしたが、それを見る限りは明らかに流れ弾だった」と話した。


  戦死者は出ていると!
  早く本当の情報を出すべきです。

  そして、
  ご供養するのは国として当然ではありませんか。

  そして、
  その責任を、
  コイズミとアベに厳しく問うのも当然ではありませんか!







テレメンタリー2018「葬られた危機〜イラク日報問題の原点〜」 0610 20180826




週刊報道LIFE「イラク日報」「自衛官の暴言」から見えてきたこと 1161 201804



BuzzFeed News:南スーダン日報全文アップロード
【全文】自衛隊は南スーダンで「戦闘」していたのか。黒塗りの日報、公開します。
南スーダン派遣施設隊 日々報告.PDF(28ページ)


朝日新聞 陸自イラク「日報」 防衛省が公表した全文書  
イラク日報435日分、防衛省公表 「戦闘」の記述複数

・イラク復興支援群の日報 370日分
・イラク復興業務支援隊の日報 26日分 
・イラク後送業務隊の日報 39日分


毎日新聞 イラク日報 防衛省が公開した報告書のPDF
防衛省:陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報
(435日分、1万4929ページ)重要部分PDF

<PDF>イラク復興支援群活動報告 2005年6月23日
<PDF>イラク復興支援群活動報告 2005年7月5日
<PDF>イラク復興支援群活動報告 2005年12月4日
<PDF>イラク復興支援群活動報告 2006年1月22日



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