s-20181014横綱・輪島







輪島vs北の湖 (昭和49年七月場所・優勝決定戦)





【Legend game】輪島 vs 北の湖【名勝負】
上手から不利な下手に巻き替える力士なんて輪島以外いないよね






1972【伝説の名勝負】貴ノ花vs輪島【Legend game】


■1972【伝説の名勝負】貴ノ花vs輪島【Legend game】
皇太子殿下の後ろで、栃錦の春日野親方が泣いていますね。
全力を出し切り水入りの大相撲になった輪島、貴ノ花に、
若い頃の自分、栃錦対若乃花の相撲を照らし合わせたのでは、と思います。

1972(昭和47)年9月場所の皇太子ご一家をお迎えしての千秋楽では、
輪島との水入りの熱戦で負けはしたものの、場所後に、2 人は揃って大関に昇進。
輪島は大関4場所目に全勝優勝して綱をとったが、貴ノ花はなかなか優勝できなかった。
周囲からは貴輪(きりん)時代を期待されたが結局のところ実現せず、
その後に急成長してきた怪童・北の湖(故人・日本相撲協会理事、前理事長)に、
実力面で追い抜かれ、輪湖(りんこ)時代が訪れることになる。



で、。。。

私の、角界で一番の贔屓力士でありました。
第54代横綱・輪島大士=本名・輪島博=
本当に綺麗なおすもうを取る横綱だったと思います。
ダメ押しで土俵下まで投げ飛ばしたり、
見てて綺麗じゃない、ってな、お相撲を見たことないよ。
そんなことは一切しませんでしたからね。
貴ノ花(元貴乃花親方の父親)だって、取り口が綺麗だったものね。
輪島・北の湖以後から、なんか可笑しくなったんじゃないかしらね。

たった一人、学生相撲から横綱になった力士。
たった一人、本名で横綱になった力士。

兎に角、人がイイから、
騙されたりもしたりしてね。
あんな形で角界を去るとは夢にも思わず。
プロレスの輪島さんは一回も見たことはありません。

咽頭がんを患って、手術をされたが、
後遺症(その手術の影響)で声を失ってしまったことも知っておりました。

でも、
私の中では、
永遠の「大横綱・輪島」ですからね。

右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、
左前ミツを引き右からおっつけて寄る相撲も武器であった。
トレードマークの金色の廻しとかけて「黄金の左」と言われ一世を風靡した。
下手投げを得意とする力士は大成しないというジンクスを破っている数少ない例であった。

っと、
そういうことです。
しかし、本当に寂しくなりましたね。

おつかれさまでした。

ご逝去を悼み 謹んで哀悼の意を表します
心安らかにお眠り下さい、。。。 
  合掌、。。。。。。。



■NHK 2018年10月14日 18時57分
元横綱・輪島さんの死を悼む 都内で通夜
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181014/k10011671391000.html

今月8日に亡くなった大相撲の元横綱 輪島、輪島大士さんの通夜が、14日夜、都内で営まれ、多くの関係者が輪島さんの死を悼みました。

輪島さんは、25歳で第54代横綱に昇進し、左を差してからの強烈な下手投げは「黄金の左」と呼ばれ、14回の優勝を果たしました。

横綱 北の湖と白熱した取組を繰り広げて「輪湖時代」と呼ばれ、昭和56年の春場所を最後に現役を引退し、その後は、プロレスラーやタレントとして活動していましたが、今月8日、都内の自宅で70歳で亡くなりました。

輪島さんの通夜は、14日午後6時から東京 港区の青山葬儀所で営まれました。

日本相撲協会の広報部長を務める芝田山親方など角界関係者のほか親交のあった多くの人が訪れ、焼香をしたあと、土俵入りをしている輪島さんの遺影に向かって静かに手を合わせ、別れを惜しんでいました。

輪島さんの告別式は、15日午前10時から同じ青山葬儀所で営まれます。

芝田山親方「学ぶこと多かった」
元横綱 輪島の付け人を務めていたことがある元横綱 大乃国の芝田山親方は、「横綱・輪島さんの付け人をしていたのは、名誉なことだったと今でも思います。かわいがってもらいました。現役当時の遺影を見て昔を思い出していました。輪島さんの横綱としての強さ、土俵入りの格好よさなど学ぶことが多かったです」と話していました。

同郷の力士・輝「強くなって恩返しを」
亡くなった輪島さんと同じ石川県出身で大相撲の幕内力士の輝は、「輪島さんは偉大な人だったので寂しく思います。強くなることでしか恩返しができないので、強くなるだけです」と話していました。

田淵幸一さん「男がほれる男」
輪島さんと親交のあった元プロ野球選手の田淵幸一さんは「まさかこんなに急に亡くなるとは思っていなかった。男がほれる男で、人に愛されうそをつかず、裏切らない横綱だったので友達も多かった。横綱とは40年以上のつきあいで、食事やゴルフ、温泉など思い出がたくさんある」と別れを惜しんでいました。

元横綱 若乃花 花田虎上さん「もう少し生きてほしかった」
幼い頃から輪島さんと親交があったという、元横綱 若乃花の花田虎上さんは「自分が産まれたときから側にいた人で、横綱だったが“輪島ちゃん”って呼ぶとニコっと笑って、“まさる”って言ってくれていた。もう少し生きてほしかった。本当に悲しいし残念だ。お顔を見ておやじと2人でゆっくり話してね、と声をかけてきました」と話していました。



    当  ブ  ロ  グ  へ  の
    皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! あ り が と う ご ざ い ま す!







【Video】 サウジ記者、行方不明前の最後の映像を入手

■trt.net. 11.10.2018 ~ 14.10.2018
カルン大統領府報道官、サウジ記者失踪事件の真相解明に向けた共同活動グループ設立決定を発表
大統領府のイブラヒム・カルン報道官が、サウジアラビアの提案を受けて、ジャマル・カショギ氏の失踪事件の真相解明に向けた共同活動グループの設立が決定されたと述べた。
http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2018/10/11/karunda-tong-ling-fu-bao-dao-guan-sauziji-zhe-shi-zong-shi-jian-nozhen-xiang-jie-ming-nixiang-ketagong-tong-huo-dong-gurupushe-li-jue-ding-wofa-biao-1067054

カルン大統領府報道官、サウジ記者失踪事件の真相解明に向けた共同活動グループ設立決定を発表
カルン報道官は、10月2日に在イスタンブール・サウジアラビア総領事館に入った後に連絡が途絶えたアメリカ・ワシントンポスト紙の記者ジャマル・カショギ氏について発表を行った。

カルン報道官は発表で、

「トルコとサウジアラビアの間の協力活動の一環として、またサウジアラビアの提案を受けて、サウジ人記者ジャマル・カショギ氏の失踪事件をあらゆる面から解明する目的で共同活動グループを設立することが決定された」と述べた。

サウジアラビア政府は以前にも、在イスタンブール・サウジアラビア総領事館で捜索活動を行う許可を出している。

サウジ改革派にとって重要なプラットフォームであるアル・ワタン紙に大きく貢献しており、中東で最も活動的なジャーナリストの1人として知られるアメリカ・ワシントンポスト紙の記者ジャマル・カショギ氏は、10月2日に婚約者とともに在イスタンブール・サウジアラビア総領事館に入った後、連絡を絶った。

在イスタンブール・サウジアラビア総領事館が10月4日にソーシャルメディアのツイッター(Twitter)から行った発表で、サウジアラビア国籍であるカショギ氏が総領事館の建物を出た後に失踪したとの主張が上がっていた。
イスタンブール・共和国検察局は、カショギ氏の行方について捜査を開始した。
(2018年10月11日)


  トルコにあるサウジアラビア総領事館で著名なサウジ人記者ジャマル・カショギ氏が
  行方不明になった問題で、サウジ政府は14日、国営通信を通じ、
  「経済制裁や政治的圧力による脅しは完全に拒否する。何らかの行動が加えられれば、
  それより大きな行動で対抗する」と警告した。
  国営通信によると、政府筋は「サウジ経済は、世界経済において重要かつ影響力の
  ある役割を担っている」と指摘した。
  対抗措置には具体的に触れていないが、世界屈指の豊富な原油資源を武器に、
  サウジ批判を強める国々への禁輸などを検討している可能性もある。
  =以上 時事のカイロより=

  いよいよ
  この地域の紛争が一触即発って感じになるのかしらね。
  サウジアラビアが強き過ぎて怖いよね!
  産油国はこれだからな、怖いわ!

  つーか、
  拷問して殺しましたって言ったるようなもんじゃないの。
  拷問なんていつものことだろうか?
  怖いな、。。。










スマートウォッチに殺害記録か サウジ記者不明事件(18/10/14)



TBS
サウジのジャーナリスト不明、スマートウォッチの録音を捜査か
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3497199.html

 サウジアラビア国籍のジャーナリストがトルコにある総領事館に入ったまま行方不明になった事件で、トルコメディアは、ジャーナリストが身に着けていたスマートウォッチで録音された音声を捜査当局が調べていると報じました。

 この事件は、サウジアラビア国籍でアメリカ在住のジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が今月初めにトルコ・イスタンブールにあるサウジアラビアの総領事館に入ったあと、消息を絶ったものです。

 トルコ当局はサウジ政府に批判的だったカショギ氏が総領事館内で殺害された可能性があると見ていますが、地元メディアは13日、捜査当局が、当時カショギ氏が身に着けていたスマートウォッチから、総領事館の外で待っていた婚約者のスマートフォンに送られた音声を調べていると報じました。

 アメリカ・ワシントンポストも12日、アメリカ政府高官の話として「トルコ政府がサウジ当局者による殺害の証拠となる音声と映像記録を保有している」と報じていました。

 サウジアラビア側は疑惑を否定、トルコと共同で捜査を行うことで合意し、既に捜査チームがトルコに入っているとみられています。

 「殺害がサウジアラビア当局によるものであれば、それはひどく、おぞましいことだが、まだ真実は分からない。しかし、我々は真相解明に努め、そして厳罰を下すことになる」(アメリカ トランプ大統領)

 一方、アメリカのトランプ大統領はCBSテレビとのインタビューでこのように述べたものの、サウジアラビアへの武器輸出については「アメリカの軍需産業の雇用に響く可能性があり、発注を失いたくはない」として後ろ向きの姿勢を示しています。

 しかし、サウジアラビアへの疑惑の視線は国内外で急速に強まっていて、親サウジアラビア路線をとってきたトランプ政権は厳しい立場におかれています。






サウジアラビア軍歌 「サウジ軍」 日本語字幕つき
サウジアラビア軍歌・怖い、。。。



  でもさ、
  トランプーが、サウジに対してどれだけデカイ口を叩いても、
  逆にやり込められるかもしれませんよね。  

  全ドルの2%を保有してるのがサウジと言われてるし。
  株式だけでも相当持ってるとも言われているというし。
  そら、軍事力じゃアメリカに圧倒的に負けるでしょうが、
  米国製兵器を買ってくれる大事なお得意さんだからね、
  そうそうトランプーが脅しても、簡単にはいかないって思うんだけどね。

  トランプーの力より、
  世界の人権擁護団体や報道関係団体からの力のほうが強いかもしれない。
  そんなことを思ったりします。


  サウジ記者失踪事件。このニュース聞いた時、  
  初めはさぁ、
  どうして行方不明なのにアップルウォッチの音声をトルコが入手できたの?
  クラウドにアップされんのかしら?

  これだけは思った。
  殺される危険性は認知(察知)していたんだろうなって、…。
   ▼ 
  こういうことだったんですね。
   ▼
  大使館の近くに婚約者待機させデータを送信していた。
  僕が大使館から戻らなかったら、
  このデータを持ってトルコ政府の顧問の所に行きなさいと伝えていた。
   ▼
  婚約者ともども命懸けだった、ということですね。
   ▼
  これから、まだすごいハナシがあってね。
   ▼
  CNNはカショギ氏がアップルウォッチで死に際の音声を録音していたという
  トルコ政府の発表を信じてないんですね。
  領事館内で盗聴装置を仕掛けていたのだろうと推測してる、…。
  なんかすごいスパイ大作戦を現実にみせられてるようで怖い、。。。
  =以上=



■Federico PIERACCINI 12.10.2018 | 2018年10月12日
The Killing of Saudi Journalist Khashoggi Could Spell the End for Mohammad bin Salman

サウジアラビア人ジャーナリスト、カショギの殺害は、ムハンマド・ビン・サルマーンの終わりを告げかねない。

The death of famous journalist Saudita Jamal Khashoggi is likely to have important repercussions, revealing the hypocrisy of the mainstream media, tensions inside the Saudi regime, and the double standards of Western countries.
著名なサウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギの死は、主流マスコミの偽善、サウジアラビア政権内部の緊張、欧米諸国の二重基準を暴露する重大な影響をもたらす可能性が高い。

On October 2nd, 2018, Saudi journalist Jamal Khashoggi was allegedly killed inside Saudi Arabia’s embassy in Turkey. The sequence of events seems to show that the murder was premeditated. Two days before his death, Khashoggi went to the Saudi embassy in Istanbul to obtain documents pertaining to his divorce in preparation to remarry in the United States. The Saudi embassy instructed him to return on October 2nd to collect the documents, which he duly did. He entered the embassy around 1pm on October 2nd but never exited. Khashoggi’s fiancee, after waiting several hours, raised the alarm as Khashoggi had instructed her to do should he not reemerge after two hours.
2018年10月2日、サウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギが、在トルコ・サウジアラビア領事館内で殺害されたという。事件の経緯は、殺害が計画的なものだったことを示しているように思われる。彼が死亡する二日前、アメリカ合州国で再婚する準備として、彼の離婚証明書類を得るため、カショギは在イスタンブール・サウジアラビア領事館を訪問していた。サウジアラビア領事館は、彼に書類を受領するため、10月2日に再訪するよう指示し、彼はその通りにした。彼は10月2日の午後1時頃、領事館に入ったが、決して出てこなかった。カショギの婚約者が数時間待った後、カショギが二時間たっても出てこなかったら、そうするよう指示していた通り、急報した。

It is from here that we should start to reconstruct this story that resembles a science-fiction novel even by Saudi standards, a country that does not hesitate to kidnap heads of state, as was the case with the Lebanese prime minister, Saad Hariri, about a year ago.
ほぼ一年前のレバノン首相、サード・ハリーリーがそうだったように、国家元首を拉致するのも辞さない国、サウジアラビアの標準からしても、まるでSF小説を思わせるこの話の再構築を始める必要があるのは、ここからだ。

Jamal Khashoggi is a controversial figure, a representative of the shadowy world of collaboration that sometimes exists between journalism and the intelligence agencies, in this case involving the intelligence agencies of Saudi Arabia and the United States. It has been virtually confirmed by official circles within the Al Saud family that Khashoggi was an agent in the employ of Riyadh and the CIA during the Soviet presence in Afghanistan.
時にジャーナリズムと諜報機関の間に存在する、この場合には、サウジアラビアとアメリカ合州国の諜報機関が関与する協力という闇世界の代理人ジャマル・カショギは物議を醸す人物だ。カショギが、ソ連のアフガニスタン駐留時代、リヤドとCIAに雇われた工作員であることが、サウド王家内の当局者により、事実上、認められていた。

From 1991 to 1999, he continued to serve in several countries like Afghanistan, Algeria, Sudan, Kuwait and other parts of the Middle East, often maintaining an ambiguous role in the service of his friend Turki Faisal Al-Saud, the future Saudi ambassador to Washington and London and later supreme head of Saudi intelligence for 24 years.
1991年から1999年まで、彼は、アフガニスタン、アルジェリア、スーダン、クウェートなどのいくつかの国々や他の中東諸国で働き続け、後にワシントンとロンドン大使となり、更に、サウジアラビア諜報機関のトップを24年間つとめた友人トゥルキ・ファイサル・アル-サウドのために、あいまいな役割を良く演じていた。

Khashoggi was named editor of the leading English-language magazine in Saudi Arabia, Arab News, from 1999 to 2003. In late 2003, he transferred to Al Watan, one of the most liberal, Western and pro-reform newspapers in the country. His job lasted only 52 days, with him being removed strongly criticizing the Wahhabi clerical extremist Ibn Taymiyyah. Khashoggi had turned into a critical voice of the Saudi regime following the internal struggles between King Abdullah and Turki Faisal Al-Saud.
1999年から2003年まで、カショギは、サウジアラビアの主要英語雑誌、アラブ・ニューズ編集者に任命されていた。2003年末、彼はサウジアラビアで最もリベラルな、親欧米、親改革派新聞の一つアル・ワタンに移った。彼の仕事はわずか52日しか続かず、過激なワッハーブ派聖職者イブン・タイミーヤを強く批判して、追い出された。アブドゥッラー国王とトゥルキ・ファイサル・アル-サウドとの間の内部抗争の後、カショギはサウジアラビア政権に対する批判的意見の人物に変わった。

One of the main criticisms of Khashoggi coming from factions loyal to Abdullah was that he had recruited and paid several journalists on behalf of the CIA during his time as an editor. Such an accusation would conform with the widespread practice of the CIA seeking to influence the media, and therefore public opinion, and to put pressure on leaders failing to do what Washington wants.
アブドゥッラー国王に忠実な一派からのカショギに対する主な批判の一つは、編集者時代、CIAのために、彼が何人かのジャーナリストを採用し、雇っていたというものだ。そのような非難は、マスコミへの、更に世論への、ワシントンが望んでいることをし損ねている指導者に圧力をかけるための影響力強化を目指しているCIAの慣習と合致する。

To fully understand what has led to the disappearance of Khashoggi, it is important to dissect the career of Turki bin Faisal Al-Saud, Khashoggi’s political protector.
一体どのようにしてカショギ失踪に至ったのかを良く理解するにはカショギの政治的保護者トゥルキ・ビン・ファイサル・アル-サウドの経歴を子細に吟味することが重要だ。

During the reign of King Khalid (1975-1982), Turki bin Faisal Al-Saud was at the center of relations between Washington and Saudi Arabia, committed to inflicting as much damage as possible on the USSR while it was in Afghanistan, with the help of foreign fighters (those who later became known as Al Qaeda) armed by Pakistan and financed by the Saudis. Following the end of the war in Afghanistan in 1982, Fahd bin Abdulaziz Al Saud became king until 2005. During this period, Faisal became a respected man within Saudi intelligence, leading to him becoming the undisputed leader. He was removed from his post on May 24, 2001, a few months before September 11, 2001. The connections he had with Osama bin Laden, following the attacks of September 11, 2001, continued to hound the Turki bin Faisal in subsequent years, even being sued by relatives of 9/11 victims in a multimillion-dollar lawsuit directed at him and other Saudi operatives. From 2003 to 2005, Turki bin Faisal served as ambassador to the UK, emphasizing his role as a leading Saudi in the international community, and came across Khashoggi, taking him under his wing as a personal advisor.
ハリード国王(1975年-1982年)支配時代、トゥルキ・ビン・ファイサル・アル-サウドは、ワシントンとサウジアラビアとの関係の中心で、ソ連のアフガニスタン駐留時代、パキスタンが武器を与え、サウジアラビアが資金を与えた(後にアルカイダと知られるようになった)外人戦士の支援を得て、ソ連にできる限りの損害を与えることに専念していた。1982年、アフガニスタンでの戦争終結後、ファハド・ビン・アブドゥルアジズ・アル-サウドが国王になり、2005年まで在位した。この期間、ファイサルは、評判の良い人物で、サウジアラビア諜報界内で、誰もが認める指導者となった。2001年9月11日の数カ月前、2001年5月24日、彼は職位から外された。2001年9月11日の攻撃後、オサマ・ビン・ラディンとの彼とのつながりが、それに続く年月、トゥルキ・ビン・ファイサルを悩ませ続け、9/11犠牲者の家族に、彼や他のサウジアラビア工作員に対する何百万ドルもの訴訟で告訴までされた。2003年から2005年、トゥルキ・ビン・ファイサルは、イギリス大使をつとめ、国際社会の中で、主要なサウジアラビア人としての彼の役割が強調されることになり、カショギと出会い、彼を個人的顧問として取りたてて庇護した。

In the ensuing years there was an explosive internal fracture within the Kingdom, accentuated by the death in 2005 of King Abdulaziz Al Saud, who was succeeded by King Abdullah until 2015.
その後の年月、王国内で爆発的な分裂があり、2005年、アブドゥル・アジズ・アル・サウド国王の死で際立った、アブドゥッラー国王が継ぎ、2015年まで在位した。

In 2005, Turki bin Faisal was appointed Saudi ambassador to the US during the Bush administration, with Khashoggi accompanying him as a media advisor. During this period, Khashoggi became one of the strongest supporters of the Israeli-Palestinian peace process, invoking diplomatic discussions between Riyadh and Tehran and travelling to over 37 American states to explain his point of view. While advancing the interests of the Saudi regime bent on Wahhabism, while at the same time being a friend to Israeli Zionism and the American neocons, Turki bin Faisal took a less extremist position, one more directed towards dialogue. For these reasons, he was not often received at the White House during his reign as ambassador, with the US administration openly preferring the extremist Bandar bin Sultan (a great friend of the Bush family) to the apparently moderate Turki bin Faisal.
ブッシュ政権時代の2005年、トゥルキ・ビン・ファイサルは、サウジアラビア・アメリカ大使に任命され、カショギはメディア顧問として同行した。この期間、カショギは、イスラエル-パレスチナ和平プロセスの最も強力な支持者の一人となり、リヤドとテヘラン間の外交論議を開始させ、彼の見解を説明するため、37以上のアメリカの州を訪れた。ワッハーブ主義に夢中なサウジアラビア政権の利益を推進しながら、同時に、イスラエル・シオニズムと、アメリカ ネオコンの友人であり続けたが、トゥルキ・ビン・ファイサルは余り過激でない姿勢をとり、より対話を好んだ。そうした理由から、アメリカ政権が、明らかに穏健派のトゥルキ・ビン・ファイサルよりも、過激派のバンダル・ビン・サルタン(ブッシュ家の大親友)をあからさまに好んだため、大使時代、ホワイト・ハウスに招かれることは多くなかった。

The natural result was that King Abdullah excluded him more and more from the main meetings that occurred between the Saudis and the Americans. Finally, bin Faisal resigned in protest. He was succeeded by Bandar bin Sultan.
自然な結果として、アブドゥッラー国王は、サウジアラビアとアメリカとの間で開催される重要な会議から、彼を益々遠ざけるようになった。最終的に、ビン・ファイサルは、抗議し、辞任した。彼の後を、バンダル・ビン・サルタンが継いだ。

Back to Khashoggi. It is important to note that after his departure from Al Watan he moved to London and became a senior advisor in Turki bin Faisal’s team. During Turki bin Faisal’s ambassadorship in Washington, Khashoggi assumed the position of head of press relations, coming into direct contact with major national and international organs of US media.
カショギに戻ろう。アル・ワタンをやめた後、彼はロンドンに移り、トゥルキ・ビン・ファイサル・チームの上級顧問になったことは注目に値する。トゥルキ・ビン・ファイサルのワシントン大使時代、カショギは報道関係の長になり、アメリカ・メディアの主要な国内・国際部門と直接接触するようになった。

In the years following Turki bin Faisal’s ambassadorship in Washington, Khashoggi became a new publisher of the liberal Saudi newspaper Al Watan, publishing an article that was highly critical of the Saudi clerics and of Salafism in general. A few days later, he was again forced to resign and left the newspaper. It was after this event that Khashoggi came into direct contact with Al-Waleed bin Talal, one of the richest men in Saudi Arabia, who had been appointed director of the Al Arab news channel based in Bahrain. The news channel sought to offer an impartial and objective view of events in the Middle East and in Saudi Arabia. As director of Al Arab, he often released statements and interviews for international organs like the BBC, ABC News, Al Jazeera and Dubai TV. In recent years, he became a recurring guest on Al Jazeera and had a weekly column in The Washington Post.
それ以降の年月、トゥルキ・ビン・ファイサルが、ワシントンで大使として働いた間に、カショギは、サウジアラビア聖職者や、サラフィー主義全般に極めて批判的な記事を載せるリベラルなサウジアラビア新聞アル・ワタンの新発行人になった。数日後、彼は再び、辞任を強いられ、新聞を去った。この出来事の後、カショギは、サウジアラビアで最も裕福な人物の一人アル-ワリード・ビン・タラルと直接、連絡をとれるようになり、バーレーンを本拠とするアル・アラブニュース放送局のディレクターに任命された。このニュース局は、中東やサウジアラビアでの出来事に対する偏らない、客観的な見解を提供しようとしていた。アル・アラブのディレクターとして、彼は良く、BBC、ABCニュース、アル・ジャジーラやドバイ TVなどの国際報道機関に声明を出したり、インタビューをしたりしていた。近年、彼はアル・ジャジーラの常連ゲストとなり、ワシントン・ポストに毎週コラムを寄稿していた。

What happened to Khashoggi is the story not so much of a dissident as of a struggle within the highly complicated Zionist-Saudi-Neoconservative nexus that is intertwined with the struggle against the neoliberal component of US imperialism. It is a story that deserves to be fully explored to understand the behind-the-scenes struggles that afflict US politics, the hypocrisy of the media when it comes to the Saudi dictatorship, and the ambiguous role of Turkey.
カショギに起きたことは、反体制派の物語というよりは、アメリカ帝国主義の新自由主義分子に対する戦いと絡み合った、極めて複雑なシオニスト-サウジアラビア-ネオコンのつながり内部の戦いなのだ。アメリカ政治を悩ませている舞台裏のあつれき、サウジアラビア独裁政権や、トルコの不明瞭な役割に関するマスコミの偽善を理解するためには、しっかり検討するに値する話題だ。

Returning to Khashoggi, it was during the Obama presidency that the journalist played a primary role in encouraging important reforms in Saudi Arabia as being essential to the survival of the Kingdom. During this time, relations between Riyadh and Washington steadily worsened for many reasons, primarily in regard to diverging policies on Egypt and Syria as well as on human rights in Saudi Arabia.
カショギに戻ると、王国存続のために必要不可欠なこととして、サウジアラビアにおける重要な改革を奨励する上で、このジャーナリストが重要な役割を演じたのはオバマ大統領時代だった。この期間、リヤド・ワシントン関係は多くの理由、特にエジプトとシリアに対する政策の違いやサウジアラビア国内の人権に関するものから着実に悪化し続けた。

Many in the Saudi royal family suspected that Obama was willing to use the Arab springs to get rid of the Al Saud family in Saudi Arabia. The relationship between Riyadh and Washington subsequently sunk to an all-time low. Khashoggi was the spearhead of this media and political strategy against Riyadh. An intimate friend of the royal family who ends up publicly criticizing them causes quite a stir, selling copies and drawing attention to what he writes.
サウジアラビア国内で、サウド王家を始末するため、アラブの春を利用するのにオバマは乗り気だと、サウジアラビア王家内部の多くが疑っていた。リヤドとワシントンとの間の関係はその後、史上最低に悪化した。カショギは、リヤドに対するこのマスコミと政治戦略の先陣だった。王家の近しい友人で、彼らをおおやけに批判することになった人物は物議を醸し、彼が書く本は良く売れ、注目を集めた。

Keep in mind that we are splitting the atom of the Saudi universe. But it should never be forgotten that we are talking about a regime that tortures and kills its fellow citizens as well foreigners. It is a regime that creates terrorism as a weapon used to further its own political goals. These are not people burdened by moral scruples.
我々はサウジアラビア世界の原子を分裂させていることに留意しよう。だが自国民も外国人も拷問し、殺人する政権について我々が語っていることを忘れてはならない。連中の政治目標を推進するために使われる武器として、テロを生み出す政権なのだ。道徳的ためらいで苦しむような連中ではないのだ。

Yet in spite of this, no country is monolithic in terms of those who hold the reigns of power, especially when it comes to foreign affairs. It is the competing views and internal struggles that determine the course of events, as with the case of Khashoggi's death.
それにもかかわらず、特に外交問題ということになると、権力を握っている連中が一枚岩の国など皆無だ。ことの成り行きを決めるのは、カショギの死の場合のように、競合する見解と、内部抗争なのだ。

During the Obama administration, the former Saudi intelligence man and intimate of the royals continued to work as a house organ linked to the US world of soft power (color revolutions, Arab Spring), the form of power that was particularly favored by the Obama administration as a new strategy to extend US imperialist domination following the disasters of Iraq and Afghanistan. The criticism of the Saudi royal family was constant, even though the journalist appreciated the role Riyadh played in the region, especially with regard to the aggression against Syria.
オバマ政権時代、元サウジアラビア諜報工作員で、王家に親しい人物は、イラクとアフガニスタンでの大惨事の後、アメリカ帝国主義者の支配を拡張するための新戦略として、特にオバマ政権に好まれた権力の形としてのアメリカ・ソフト・パワーの世界(カラー革命、アラブの春)につながる広報機関として活動し続けた。リヤドが地域で演じている役割、特に、対シリア侵略に関して、このジャーナリストが評価していたとは言え、サウジアラビア王家批判は変わらなかった。

In the following years, with the rise to power of King Salman, and especially after the victory of Donald Trump, everything changed for the worse in the region and for the “dissident” journalist. Bin Salman became the strongman holding power in Saudi Arabia, triggering, with a nod from Trump, a near war with Qatar, especially over the role of Al Jazeera, which often hosted Khashoggi and was increasingly critical of bin Salman and his vision for the Kingdom’s future (Vision 2030).
それに続く年月、サルマーン王が権力の座につくと、特にドナルド・トランプの当選後、地域と“反体制派”ジャーナリストにとって全てが悪い方向に変わった。ビン・サルマーンがサウジアラビアで権力を掌握する実力者となり、トランプのお墨付きを得て、特に、カショギを良く出演させ、ビン・サルマーンと彼の王国将来構想(Vision 2030年)に益々批判的になったアル・ジャジーラの役割を巡り、カタールとの準戦争を引き起こした。

During bin Salman’s campaign of repression, the King's nephew took the opportunity to attack all his opponents, with many people close to Khashoggi being arrested, tortured and killed. His old acquaintance in particular, Al-Waleed bin Talal, was arrested and tortured, much to the displeasure of the West, given that he was one of the most famous Saudis abroad, being involved with companies like Twitter. In a climax of repression, even the Lebanese prime minister, Saad Hariri, was kidnapped and spirited to Riyadh to be re-educated over a number of days. Khashoggi sensed the looming danger, and in 2017 escaped from Saudi Arabia to settle in the United States.
ビン・サルマーンの弾圧作戦中、王の甥は、すかさず、彼の敵全員を攻撃するのに利用し、カショギに近い多くの人々が逮捕され、拷問され、殺害された。特に、彼がTwitterのような企業にも関わっていて、外国で最も有名なサウジアラビア人の一人なので、欧米にとって大いに不愉快なことに、彼の古い知り合い、アル=ワリード・ビン・タラールが、逮捕され、拷問された。弾圧の頂点では、レバノン首相サード・ハリーリーすらもが拉致され、リヤドに、こっそり連れ去られ、何日間も再教育された。カショギは、迫り来る危険を感じて、2017年に、サウジアラビアから逃れ、アメリカ合州国に居を構えた。

Khashoggi continued with his columns criticizing the Saudi regime, attacking its campaign in Yemen on Al Jazeera, and accusing bin Salman of being anything but a positive revolutionary for the Kingdom. Khashoggi’s criticism pointed to the lack of democracy as well as the sclerosis at the top in the Saudi kingdom, accusations that bin Salman chafed at, finally deciding to be rid of the journalist.
カショギはサウジアラビア政権を批判するコラムを続け、イエメンでの作戦やアル・ジャジーラ攻撃を非難し、ビン・サルマーンは、王国のためになる革命児とほど遠いと批判した。カショギの批判は、民主主義の欠如とサウジアラビア王国トップの硬化を指摘し、ビン・サルマーン批判が苛立たせ、最終的に、ジャーナリスト処分の決定になった。

The events in Istanbul are the culmination of a grotesque situation whereby Donald Trump has granted a free hand to his two close allies in the region, Israel and Saudi Arabia. Analyzing the actions of these two countries over the last 24 months, the extent of Washington’s carte blanche has become clear.
イスタンブールにおける事件は、ドナルド・トランプが地域における親密な二つの同盟国イスラエルとサウジアラビアに自由裁量を認めて生じた奇怪な状況の極致だ。過去24カ月間のこの二国の行動を分析すると、ワシントンの白紙委任状の程度が明らかになる。

We could venture into fanciful speculation about Khashoggi's death, citing anonymous Saudi sources; or we could simply come to the most obvious conclusion. Khashoggi was arrested in the embassy before being tortured, killed and dismembered by about 15 Saudi operatives who arrived in Istanbul on a day flight from Riyadh and departed a few hours after Khashoggi's killing. It is hard to believe that the Turkish services, which have always played the double- and triple-crossing game, did not know what was happening. Khashoggi himself had probably received assurances that the Saudi embassy in Istanbul was a safe place to collect the documents. He was obviously betrayed by someone in whom he had strong trust.
匿名のサウジアラビア情報源を引用して、カショギの死にまつわる奇抜な憶測をしてみることも可能だ。単純に最も明白な結論を出すこともできる。カショギは、リヤドからの昼の便でイスタンブールに到着し、カショギ殺害の数時間後に出国した約15人のサウジアラビア人工作員によって拷問され、殺害され、切断される前に、領事館内で逮捕されたのだ。常に何重もの裏切りを演じているトルコ諜報機関が、何が起きているか知らなかったとは到底信じがたい。カショギ本人は、おそらく在イスタンブール・サウジアラビア領事館は書類を受け取るのに安全な場所だと言う保証を得ていたのだろう。彼は明らかに、彼が大いに信じていた誰かに裏切られたのだ。

Turkey is a strong ally of Qatar and plays a major role in the region. Relations between Riyadh and Ankara have not been the best in recent years, but their common interests in the region are so high that it is not surprising that Turkey’s National Intelligence Organization has closed more than one eye to allow Khashoggi's assassination and the exit of the 15 operatives. Besides, Erdogan was well aware of the problems that this story would have created between the United States and Saudi Arabia, especially within the ranks of the liberal media of the US establishment.
トルコはカタールの強力な支持者で、地域で主要な役割を演じている。リヤドとアンカラの関係は、近年最善とは言えないが、地域における両国の共通権益は極めて重大なので、トルコ国家情報機構が、カショギ暗殺と15人の工作員の出国を可能にするよう、見てみないふりをしていても驚くべきことではない。更に、エルドアンは、この話が、アメリカ合州国とサウジアラビアの間に、特にアメリカ支配体制のリベラルなマスコミ内部にもたらすはずの問題を十分承知しているのだ。

The problems flowing from this settling of internal accounts are manifold. They range from the indignation of such mainstream media as The Washington Post, CNN and ABC News that are beginning to reveal grisly details about Khashoggi's death, even if they treat the news with detachment, not openly attributing blame to Riyadh. Saudi money from various lobbies dampens the effect of such media attention, succeeding in dissuading direct accusations of Saudi involvement in Khashoggi’s disappearance. The more time that passes the more obvious it becomes how Khashoggi was killed in the Saudi consulate on the orders of bin Salman as a critic of the Kingdom. At some point, the mainstream media will no longer be able to cover up for the Saudis. It all comes down to the possibility of plausible deniability or legitimate justification. Both these elements are difficult for the US to employ in this case.
内部説明の解決から生じる問題多岐にわたる。それには、たとえ彼らが、あからさまにリヤドを責めず、ニュースを超然として扱っても、カショギの死に関する身の毛もよだつ詳細を明らかにし始めているワシントン・ポストやCNNやABCニュースなどの主流マスコミの憤りもある。様々なロビーを通したサウジアラビアの金が、カショギ失踪へのサウジアラビアの関与という直接の非難を思いとどまらせるのに成功して、そうしたマスコミの注目の影響をそぐ。時間がたてばたつほど、ビン・サルマーンの命令で、カショギが王国を批判する人間として、サウジアラビア領事館内で、どのように殺害されたのかがより明らかになる。どこかの時点で、主流マスコミは、サウジアラビアをかばいきれなくなるだろう。結局「知らなかったので、責任がない」と言うか、合法的に正当化するかの可能性ということになる。今回、このいずれの手法も、アメリカが受け入れるのは困難だ。

The upshot is an explosive situation that threatens to further isolate Israel, Saudi Arabia and the United States from the rest of the world. Thus the White House had to even express in an official note confusion and concern, asking the Saudis to provide real evidence of Khashoggi's exit from the Saudi consulate. We must also consider that Riyadh planned to blame Turkey for the disappearance of the journalist, stating that, having come out from the embassy, ​​the disappearance was the fault of Turkey.
結論は、イスラエルとサウジアラビアとアメリカ合州国を世界の他の国々から更に孤立させる恐れのある一触即発の状態だ。そこでホワイト・ハウスは、公式な困惑と懸念の声明を出し、サウジアラビアに、カショギがサウジアラビア領事館から出た本当の証拠を提供するよう要求せざるを得なくなる。リヤドが、大使館から去っているのだから、失踪したのはトルコの責任だと主張して、ジャーナリストの失踪をトルコのせいにすることを企んでいたことも考えなければならない。

It is not surprising, therefore, that Erdogan has insisted that "the burden of demonstrating how Khashoggi is still alive belongs to Saudi Arabia." Even the tour of the consulate offered to foreign journalists has failed to silence what seems too obvious. Riyadh overreached following Trump's wink and nod, eliminating an uncomfortable voice that was also very close to Riyadh’s geopolitical enemies like Qatar as well the US neoliberal faction (linked to Obama and to the faction close to the Muslim Brotherhood, outlawed in Saudi Arabia because it presents itself as a political alternative to the state religion of Wahhabism).
したがって、エルドアンが"カショギが今でも生きていることを証明する責任はサウジアラビアにある"と主張するのも驚くべきことではない。外国人ジャーナリストにさせた領事館内見学も、余りに明白に見えることについて沈黙させるのに失敗した。カタールのようなリヤドの地政学的な敵や、アメリカ新自由主義一派(オバマや、サウジアラビアの国教、ワッハーブ主義に対する、政治的代案を自称しているためサウジアラビアでは非合法化されているムスリム同胞団一派とつながる)にも近い不愉快な意見の人物を抹殺して、トランプの黙認に従った、リヤドはやりすぎたのだ。

In an series of reckless actions, the last 12 months have seen all sorts of provocations from Israel, the US and Saudi Arabia. There was the downing of a Russian Il-20 through the intentionally reckless maneuvers of Israeli pilots, the more than 200 bombings on the sovereign state of Syria, cooperation with Riyadh in the war in Yemen, the threats to Hezbollah and Iran that Netanyahu even proclaimed in front of the United Nations General Assembly. Saudi Arabia even managed to do worse, with the abduction of the Lebanese prime minister, the continued funding of extremists like Daesh and al Qaeda, the nefarious actions against Qatar and Iran, the bombing of Yemen, and recently the killing of a journalist in a Saudi embassy. For its part, the US in recent days has made two unthinkable declarations, namely, threatening a first strike against Moscow to eliminate some military weaponry, as well as a naval blockade to prevent energy exports.
過去12カ月、一連の無謀な行動で、イスラエルと、アメリカとサウジアラビアによるありとあらゆる挑発が行われた。イスラエル人パイロットの意図的な無謀な操縦による結果としてのロシア軍のIl-20撃墜、シリアという主権国家に対する200回以上の爆撃、イエメン戦争でのリヤドとの協力、ネタニヤフが国連総会で主張したヒズボラとイランに対する恫喝。サウジアラビアは、もっと酷いことをしでかしており、レバノン首相を拉致し、ダーイシュやアルカイダのような過激派への資金供与を継続し、カタールやイランに対する極悪非道な行動、イエメンを爆撃し、そして最近のサウジアラビア大使館内でのジャーナリスト殺害。アメリカは、 ここ数日で、二つのおぞましい宣言をした。つまり、一部の兵器を廃絶するためのモスクワに対する先制攻撃の威嚇と、エネルギー輸出を阻止するための海上封鎖だ。

With the Khashoggi incident and the ensuing media outcry, the ideological hatred of the mainstream media against Trump and the increasingly precarious situation of Netanyahu (accused of corruption, with his wife also being investigated), it should not be surprising if this latest incident only serves as ammunition in the political war amongst the elite that shows no signs of subsiding and is instead growing in intensity by the day.
カショギ事件とそれに続くマスコミの抗議、トランプに対する主流マスコミのイデオロギー的な憎悪や、(汚職で起訴され、妻も捜査されている)ネタニヤフの益々追い詰められる状況からして、もしこの最新の事件が、弱まる兆しはなく、逆に日に日に激しくなっているエリート支配層間の政治戦争における弾薬として機能しても決して驚くべきことではない。

One of the last alliances that the United States has available to influence events in the Middle East risks falling apart as a result of bin Salman’s ill-advised actions. Erdogan has already challenged the Saudis by asking them to prove that the journalist is alive. There is open speculation in the Kingdom about the implications of the clash between Ankara and Riyadh and between bin Salman and Erdogan. There are those who are willing to bet that this latest reckless action could prove fatal for the ruler who, after just a year and a half, seems to have exhausted his whole store of experience as the Kingdom’s young despot.
中東における出来事に影響を与えるのに使えるアメリカ合州国最後の同盟諸国の一つが、ビン・サルマーンの無分別な行動の結果、ばらばらになる危険に直面している。既にエルドアンは、ジャーナリストが生きていることを証明するよう要求して、サウジアラビアに挑戦している。王国では、アンカラとリヤドの間と、ビン・サルマーンとエルドアンの間の衝突の意味合いに関してあからさまな憶測がある。この最新の無謀な行動が、わずか一年半後、王国の若き専制君主としての経験の備蓄をすっかり使い果たしたように見える支配者にとって致命的なものになりかねないと進んで断言する人々がいるのだ。


  こうなると、
  何処の国の言うことも一方的に信用しちゃいけないな、
  そんな思いがあります。



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