チュー太・お爺さん(400)チュー太・お婆さん(400)


今日は「敬老の日」。

そして、
シルバーウィークでもあります。

が、

他人様のことを言ってられなくて
私もそろそろ「敬老の日」の仲間入りじゃん、。。。
ふぅ〜、。。。

50歳過ぎてからの一年が早いこと早いこと。
いつの間にか一年が過ぎた。
これが実感だわね。

んで、
ひと夏、
ひと冬、
越していくことの大変さも実感していますね。 

元々体の達者な方ではなかったんだけど、
片意地張って生きてきたら頑丈になったって感じかなw 

でもねぇ、
今でも、口だけは達者よ、イヒヒっ。 



■テレビ朝日
きょうは「敬老の日」 80歳以上、1000万人初突破(2015/09/21 05:54)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000059109.html

 21日は敬老の日ですが、80歳以上の高齢者が初めて1000万人を超えたことが分かりました。
総務省のまとめによりますと、15日現在の65歳以上の高齢者の数は3384万人で、総人口に占める割合は26.7%と過去最高となりました。男性は1462万人、女性は1921万人となっています。総人口に占める割合を見ると、22.4%のイタリアや21.2%のドイツを引き離しています。また、何に支出をしているか世代別に見ると、60代はスポーツクラブの使用料やパック旅行費への支出が、70代では園芸用品やサプリメントへの支出が最も多くなっています。高齢者が健康に気を付けながら趣味を楽しんでいることが分かりました。


    当  ブ  ロ  グ  へ  の
    皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! あ り が と う ご ざ い ま す!














2015 09 18 衆議院本会議「安倍内閣不信任決議案」






安倍内閣不信任決議案 【趣旨説明】 枝野幸男(民主党)



  ツイッターでさぁ、
  時間稼ぎなのに時間稼ぎに聞こえない内容の濃さだったわー、
  さすが弁護士と思った。

  同意だわ。

  福山哲郎の演説といい、
  魂のこもった演説には長い演説でも心に染み入るものだと思った。

  野党で居ることの悔しさを今日ほど思い知った日はなんじゃないかな。
  政権交代はいかにして失敗したか、
  ちーとは考える日にはなったんではないかなっとね。
  それが茶番劇であろうとなかろうと、。。。

  ま、
  今のような、
  その志で真摯に謙虚に政治を司る気があるならば、
  民主党の再生は可能なのだと認識した日でもありました。
  
  それと、
  民主再生の必須条件!

  金子洋一、長島昭久、原口一博、前原誠司、松原仁、笠浩史
  次世代に行って思い存分政治活動を。
  #日本会議所属の極右は民主党を出ていけ

  民主党崩壊の戦犯。
  ノブタを追放すること。
  憲法解釈で集団的自衛権を容認しましょう。
  再稼動もしましょう。
  消費税も上げましょう。

  ノブタ政治と、
  今の自公政治と、
  どこがどう違うというのでしょうか???

  アベとタッグを組んで民主党崩壊させた一番の戦犯が、
  未だにのうのうと民主党に居座っていることこそ大問題ではありませんか。
  民主党に反省という言葉がないのか?

  つーか、
  あのブタに申し上げる。
  アナタは自民党が一番お似合いである。
  トットと、自民党にお行きになればいいでしょう、クソが! 

  このことを実行しない限り浮上は出来ないと思う。

  こういうことです。
  日本会議に居る民主議員と縁を切る。
  ノブタはトットと自民に行ってもらう。

  そのことで、各々の支持者が10人減ったとします。
  そのことで、こいつらが居るせいで逃げていた民主支持者が50人帰ってくる。
  そうなると政権交代だって不可能ではない。

  うーむ、、
  民主党で政権交代できたエネルギーになったのは
  共産党との連携プレーだったですもんね。
  候補者一本化で候補者を絞ったことは政権交代に不可欠だった。
  そういうことです。

  小沢さんが居て、
  タロちゃんが居て、
  それだけで政権交代できるのですか?
  戦争法案を止めることが出来るのですか?
  そんなことないじゃない、。。。

  共産党の提案に乗ろうではありませんか。  
  それに、民主党再編の絶好の機会と捉えます。

  私は、一々、屁理屈こね回しているような御仁の考えより、
  チャンスと逃がさず、
  一歩前へ、
  とにかく一歩前に進んでいく、
  挫折しながら、
  無念の感情を抱きながらでも、
  一歩前に進んでいく、
  でないと、事は始まらないのですから、。。。

  しかし、
  まぁ、
  よくも羞恥心も無く、
  こいつら民主党に居座り続けられるなって思うわね。
  自民から放たれた工作員?
  それだから民主を離れるわけないじゃん、って言う方もいらっしゃいますが、
  事実はどうなんでしょうね、。。。
 



■NIPPONIA ARCHIVES 日々のニュースを記録していくよ
【安保】「この国の立憲主義と民主主義を守るため、安倍内閣は不信任されるべき」
――民主党幹事長・枝野幸男氏の演説(全文)

http://tekitoeditor.hatenadiary.jp/entry/2015/09/20/183144

 
 民主党の枝野幸男です。まず冒頭、今回の台風18号関連による大雨被害によってお亡くなりになられた方々に対し、改めて衷心よりお悔やみを申し上げます。また、各地で被災された方々に、心からお見舞いを申し上げます。

さてこれより、私は民主党・無所属クラブ、維新の党、日本共産党、生活の党と山本太郎と仲間たち、社会民主党市民連合を代表し、安倍内閣に対する不信任決議案の提案の趣旨を説明いたします。まず、決議案の案文を朗読します。「本院は安倍内閣を信任せず、右、決議する」。

――2012年末の総選挙で総理は「日本を、取り戻す」こう何度も絶叫し、政権の座に就きました。成長戦略実行国会、好循環実現国会、地方創生国会、改革断行国会。国会のたびに安倍総理は経済やさまざまな改革に取り組むようなキャッチフレーズを作りました。しかし、安倍政権の経済政策は、日本銀行任せの「異次元」と称する節操なき金融緩和、そして財政出動という、いわば痛み止めとカンフル剤にすぎず、一時的に景気回復の幻想をばらまいただけに終わっています。地方創生もさまざまな改革も、そのポーズだけは立派でありますけれども、本気でやる気があるとはとうてい思えません。地方の疲弊はますますひどくなり、財政規律を無視したバラまきが大規模に復活をしています。

そんな中で、安倍総理が唯一、精魂込めて取り組んだのは、政府に都合のよい特定秘密保護法の成立であり、今回の立憲主義を破壊し、戦後日本の骨格を歪めようという安全保障の成立でありました。

政府与党は7月16日に本院で、そして9月17日には参議院の特別委員会で、国民の理解がまったく得られておらず、多くの国民が反対をしているにもかかわらず、この違憲法案を強行採決しました。立憲主義に反する戦後最悪の法案を、戦後最悪の手続きで強行する姿勢は、まさに暴挙そのものです。安倍内閣はもはや民主的政府としての理性を失い、みずからブレーキをかけることができない暴走状態と化しています。

奇しくも本日9月18日、1931年、いわゆる満州事変が勃発をした日であります。安倍総理が「取り戻す」と称している日本は、このころの、つまり満州事変から日華事変、日中日米戦争へと至る昭和初期の暴走していた時代の日本ではないのでしょうか。この暴走を止める責任が私たちにはあります。私たちはこの今も、国会の周辺で全国各地で怒りを込めて声を上げている多くの主権者のみなさんの思いを背に、万感の怒りを込めて内閣不信任案を提出をいたしました。以下、本決議案を提出する理由の一端について具体的に説明を申し上げたいと思います。

●「平和のため」という大義名分は戦争を正当化するための方便として使われてきた

まずはなんといっても、安全保障法制であります。安倍政権が今まさに無理矢理成立させようとしている安全保障法制は、その内容においてもプロセスにおいても、その背後にある政治理念においても、戦争への深い反省に基づく民主主義と立憲主義、そして平和主義と専守防衛に基づく戦後の安全保障政策を、大きく転換、破壊し、戦後70年の平和国家、民主国家としての歩みを逆転させかねない、まさに戦後最悪のものであります。

そもそも安倍政権が進める自称「積極的平和主義」とは何なんでしょう。対話や地道な外交努力を軽視し、武力による抑止に偏っており、政府が言うような「日本の安全と地域の平和」を約束するものではとうていあり得ません。

私は、この本会議場でこの安全保障法制の趣旨説明に対する本会議質疑に立たせてもいただきました。その折も申し上げました。昭和12年、盧溝橋事件における当時の政府の声明は「東亜の平和の維持」を掲げていました。昭和16年、日米開戦の折の宣戦の詔書は「東亜永遠の平和を確立」と掲げていました。我が国だけではありません。ベトナム戦争における米国両院合同決議、いわゆるトンキン湾決議は「東南アジアにおける国際平和と安全の維持が国益と国際平和にとって死活的である」として本格介入を承認しました。

「平和のため」という大義名分はまさに繰り返し、戦争を正当化するための方便として使われてきたのであります。「平和」が強調されている場合には、眉に唾をつけて受け止めるべきというのが、まさに歴史の教訓なのではないでしょうか。

戦後70年の今年、なぜ先の日中日米戦争などで多くの犠牲が払われたのか、その中からなぜ戦後の平和主義が生まれたのか、そして満州事変が勃発した今日9月18日、なぜあの柳条湖事件が起こり満州事変へと拡大したのか、先人の歩みと思いに、しっかりと目を向ける必要があると感じています。「智者は歴史に学ぶ」といいます。こうした歴史をいかに総理が踏まえていないのか、それがこの安全保障法制、そしてこれをめぐる一連の国会審議等に如実に表れていると私は痛感をしています。

●昭和47年見解は集団的自衛権の根拠たりえない

安全保障法制の具体的な問題点にも触れていきたいと思います。まずは何といっても、「憲法違反である」という根本的な問題であります。政府案による集団的自衛権の行使容認、そして後方支援の武力行使との一体化、これは日本への武力行使がなくても、自衛隊による武力行使を容認するものであり、従来の専守防衛を明らかに逸脱をし、従来の憲法解釈からはとうてい許されない憲法違反のものであります。

衆議院の憲法審査会においては、自民党推薦の参考人としてお出でいただいた長谷部教授を含め、招致された憲法学者全員が「政府案は憲法違反である」と明言をされました。7月に行われたアンケート調査では、144人の憲法学者のうち122という圧倒的多数の憲法学者が憲法違反だと批判をしました。山口繁元最高裁判所長官、濱田元最高裁判事、さらに法制局長官を経験した専門家、見識あるまともだったころの自民党の有力OBたちも憲法違反だと批判を繰り返しています。

政府は安保法案が憲法違反であるという野党などからの批判に対し、「違憲かどうかを判断できるのは憲法の番人である最高裁だけだ」と主張をしてきました。にもかかわらず、元最高裁長官などの究極の専門家の発言を受けると今度は、総理は「今や一私人」と切って捨て、中谷防衛大臣も「一私人の発言にいちいちコメントしない」と答弁をしています。

最高裁長官を経験をした方の言葉には、相応の重みがあります。しかも山口元長官は、職業裁判官の出身でおられます。私も法曹の一角を占めさせていただいていますが、日本の職業裁判官がいかに政治的中立性の重要性を意識をしているのか、これは本当にある意味で日本の司法法曹の中立性・公正さ、こうした観点から誇るべきものだと私は感じています。そうした職業裁判官の中でしっかりと仕事・実績を積み重ねられ、その結果、最高裁判事そして長官にまで上り詰められた山口氏は、誰よりもそのことを意識をしている方である。その山口元長官があえて発言をした意味を、さらには山口氏のほかにも、少なからぬ元職業裁判官が今、声を上げているということの意味を理解しようとしない姿勢はご都合主義そのものであると言わざるを得ません。

政府が「集団的自衛権の根拠たりうる」と主張する、いわゆる砂川判決は、国家がその自然権的権利として当然に自衛の措置をとりうることを認めたにすぎません。それが個別的自衛権なのか、集団的自衛権なのかは判決ではまったく触れていません。これを「集団的自衛権の根拠たりうる」という主張はまったくもってないところから無理矢理に何かを生じさせようとするものであり、奇想天外であります。

だからこそ当初、山口那津男公明党代表も「自衛隊が合憲か違憲かという論争の中でくだされた判決であり、集団的自衛権を視野に入れた判決ではない」と発言をされています。繰り返します。山口那津男公明党代表のご発言であります。

安倍政権は集団的自衛権に関し、これまで政府の姿勢の基礎とされてきた昭和47年見解――これは参議院決算委員会に提出された昭和47年10月14日、集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料でありますが、これについて、その一部のみを便宜的に切り取って「基本的論理」としたうえで、それに今日の安全保障環境の変容を当てはめれば、集団的自衛権行使は可能と主張をしておられます。

しかし、この47年見解、しっかりと読めば、そんな奇想天外な話は出てくるはずがありません。47年見解はこう述べています。「政府は従来から一貫して、我が国は国際法上、いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは憲法の容認する自衛の措置の限界を超えるものであって許されないとの立場に立っているが、これは次のような考え方に基づくものである」。

いいですか。つまり、この後申し述べる部分は「集団的自衛権を行使できない」ということの理由を説明する部分です。

その中で、「憲法は第9条において同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認し、また、第13条において、生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、国政のうえで最大の尊重を必要とする旨を定めていることからも、我が国がみずからの存立をまっとうし、国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持し、その存立をまっとうするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら」――だからといって――「平和主義をその基本原則とする憲法が右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それはあくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであるから、その措置は右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲に留まるべきものである。そうだとすれば、我が憲法のもとで武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする、いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない」。

この部分全体が「次のような考え方に基づくものである」という言葉のもとに置かれている文章であり、その「集団的自衛権の行使は憲法上容認する自衛の措置の限界を超えるものである」の理由として今の部分が述べられている。この中から部分的に取り出して、集団的自衛権行使容認の根拠にするだなんていうものは、無から生み出すんじゃなくてマイナスから生み出すようなものだと、とうてい論理的に成り立ちません。

まさに、本当にこの47年見解を根拠に、憲法違反じゃないとおっしゃっている方は、この47年見解をちゃんと熟読されたんでしょうか。熟読されて、あのような解釈を導かれるとすれば、小学校や中学校で接続詞の使い方とか意味、習ったんでしょうか。私は日本語の使い方、接続詞の使い方、それを理解してこの日本語を読んで、ここから集団的自衛権の部分行使容認を導ける、これはとても日本語の範疇を超えていると言わざるを得ないと思っています。

●一内閣の独断で憲法解釈を変更するのは立憲主義に反する暴挙だ

政府は「安全保障環境が変わったから憲法解釈を変更できる」と強弁をしています。これを無条件に認めたのでは、時の政権の判断で憲法を勝手に解釈することになり、憲法の意味がなくなります。衆議院の審議で中谷大臣は、現在の憲法をいかにこの法案に適用させていいのかという議論を踏まえまして閣議決定を行ったわけであります。

憲法に法律を適合させる――別に大学の法学部で習わなくても、中学校の社会科で習う世界だと思います。この内閣はおそろしいことに、「憲法は法律の下にある」と、こんなことを堂々と国会の審議でおっしゃる。

それは憲法が法律の下なら、安保法案もそれは適当かもしれません。しかし、中学生でもわかる話です。憲法にしたがって法律は作られなければならないし、解釈されなければならない。こんな当たり前のことを、この国会の議場で言わなければならないことを、私はたいへん悲しく思います。

だいたい砂川判決の後も、昭和47年見解の後も、歴代自民党政権は「集団的自衛権は憲法違反」と、ずっと言い続けてきたのではないですか。「状況が変われば認める余地がありうる」だなんていう話を私は聞いたことがありませんし、今回の議論でもそうした説明は一度も聞かされておりません。

高村副総裁は何度も「憲法違反じゃない」といろんな詭弁を弄されておりますが、高村さんご自身、外務大臣の時に、留保なく――つまり「状況が変われば容認される余地がある」だなんていうことはまったくおっしゃらずに、「集団的自衛権の行使は憲法違反である」と明言されているじゃないですか。

中谷防衛大臣に至っては、「集団的自衛権を行使容認できるようにしたいけれど、解釈じゃできないから、憲法典を改正するんだ」とおっしゃっているじゃないですか。従来から状況によっては解釈する余地があると思っていたのなら、まずそれをやりましょうとなぜその時点で言わなかったんですか。まさに今まで、自分たちが言ってきたことを180度ひっくり返している話なんですよ。

あるいはお二人以外にも、たくさんの歴代自民党の閣僚党幹部のみなさんが、留保なく「集団的自衛権行使は憲法違反だ」と繰り返されてこられました。中曽根元総理も、福田元総理も、たくさんの歴代自民党政権のみなさん、こうしたみなさんは、本当は「状況が変われば行使できる」と言うはずなのを、ずっとみんな間違え続けてきたんですか。中曽根さんも、みなさんも。そう言っているにほかならないことですよ。その中には、集団的自衛権、本来なら行使したいと思っている方も少なからずいたはずではないですか。

歴代内閣法制局長官も当然法律家の基本として、状況が変われば部分的に容認できる余地があるなら、そのことを付言して「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」と歴代言い続けてきたはずですよ。なんで急に今度の長官になったら変わるんですか。歴代長官は気づかなかった、それは失礼じゃないですか、歴代長官に対して。

集団的自衛権の行使を容認することは憲法改正に匹敵するような、まさに憲法解釈の重大な変更です。これが本当に必要なことで、国民の理解を得られるのであるならば、憲法改正を言わなければいけないじゃないですか。国民の過半数の賛成を得て実施する憲法改正の手続きをなぜ訴えなかったんですか。こうしたことを無視して一内閣の独断で解釈を変更している、これは立憲主義に反する暴挙であります。

麻生副総理は自分で認めておられます。平成25年7月29日に開催されたシンポジウムでの発言、「僕は今、3分の2という話がよく出ていますが、ドイツは、ヒトラーは、民主主義によってきちんとした議会で多数を握ってヒトラーは出てきたんですよ。ヒトラーは選挙で選ばれたんだから、ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。だから静かにやろうやと。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった、あの手口学んだらどうかね、ワーワー騒がないで。本当にみんないい憲法だとみんな納得してあの憲法変わっているからね」。

結論部分を除けば、私も認識は一緒です。まさにナチスドイツは武力クーデターで独裁を作ったのではないんです。ワイマール憲法という、当時の世界においてはもっともと言っていいくらい進歩的な憲法のもとで民主的なプロセスを経て権力を握り、そうやって得た国会の議席の力で、いわゆる権力委任法という法律でワイマール憲法を事実上停止をし、そして独裁に走った、まさに時代認識はそのとおりです。その手法に学ぶというようなことを堂々とおっしゃっている。まさに今やっていることは、それそのものではないのでしょうか。

●民主主義は立憲主義とセットで初めて正当化される

おそろしいことに、東京大学法学部をお出になられた総理補佐官が「立憲主義を大学では教わらなかった」とTwitterか何かで書かれています。ちなみに言うと、何ももっともレベルが高いと思われる東京大学法学部で習わなくても、立憲主義というのは中学校の社会科で教わります。

まさに権力は憲法によって制約される、権力者は憲法にしたがってその権力を行使しなければならない、これが立憲主義であります。まさに内閣総理大臣たる者、この立憲主義によって拘束される忠臣であります。もちろんわれわれ国会議員も、その権力の一端を一時的にお預かりをする者として、憲法に縛られ、憲法に反する法律を作らない、そのために努力をするという責任を負っています。

立憲主義をもって「それは王様の時代の、王様の権力を制約するためのものだ」――こんな、あえていえば、この話自体が一世代前の話と言っていいかもしれません。こんなすごいことをおっしゃっている方もいて唖然としました。確かに歴史的には王様の権力を制約する、そのプロセスの中で立憲主義という考え方、それが広まり、あるいは鍛えられてきたという、そういう側面が歴史的にあるのは間違いありません。

いわゆる王権以外の権力は憲法に服さなくていいのか。そんなことはありません。まずそもそも、私たち国会議員がお預かりをしている「立法権」という権力、それは何によって与えられているんですか、預かっているんですか。内閣総理大臣の権力、それは何によって与えられているんですか。

「選挙」と言う人がいるかもしれません。でもそれは半分でしかありません。その前提があります。選挙で勝った者にこういう権限を預ける、選挙で勝った者にこういう権力を行使させる、そういうことを憲法で決められているから、選挙で勝った者に一時的に権力が預けられている。同時にその憲法は、無条件で権力を預けるのではない、こういうプロセスで誰に預けるかを決めることを規定していると同時に、その権力者はこういう規制の中でしか権力を使っちゃいけない、この両方を憲法で決めてセットで私たちは委ねられているんです。

この筋から言っても、王権ではない権力だといえども、私たちが預かっている権力そのものは、同時に日本国憲法によって制限された中で付託をされている。選挙で勝ったから万能ではない、当たり前のことじゃないですか。

しかも「民主主義」というのは、戦後日本においては、民主主義の重要性がある意味で若干偏ったかたちで強調されすぎてきたのかもしれないと思うところがありました。

立憲主義とセットになって、初めて民主主義というのは正当化されます。なぜならば、民主主義は決して多数決主義とイコールではありませんが、多数の意見にしたがってものを決めていこうという考え方であること、これは否定をしません。しかし、多数の意見にしたがってものを決めていこうという考え方は、それだけでは決して正義ではありません。なぜならば、多数の暴力によってこそ、少数者の人権侵害というのは生じるからです。

常に多数でものを決めればいい、多数意見が絶対なんだということであったら、あなたも私もみんなこの社会において安心して生きていくことはできません。今は、それは自民党のみなさん、国会の中で多数、われわれは少数かもしれないけれども、国家全体ということで考えれば、今こうして元気に健康で仕事をさせていただき、こうしていろいろとお訴えをさせていただける少数野党も含めて、ある意味では人生のさまざまな側面において、われわれは多数の側に立っています。

しかしながらたとえば、難病に冒されている方、怪我を負って、障害を負っておられる方、たとえばいろんなかたちでその側面を見れば、少数の立場に立たれている方、世の中にたくさんいます。そして、みなさんも私たちも、今はそうとうの側面で多数派かもしれないけれど、常にある側面を切り取れば少数派である。あるいは人生のいろんな側面において、たとえば不幸にも重い病気にかかったり、事故に遭ったり、常にすべての人間、少数派になることがありうる。少子高齢社会、高齢化が進んでいる社会とは言いながらも、人間歳をとっていけば、歳をとって体が自由にならなくなる、これはやはりそうは言っても少数者でしょう、誰もがいずれそうなる。そうした時に、民主主義、多数で決めることが正義であるというその側面だけを取り上げたら、常に自分が少数の側に立った時に多数によって何をされるかわからない、これでは誰も安心して暮らしていくことはできません。

だから民主主義というのは、憲法によって「少数者の権利」というものをしっかりと守る。「民主的なプロセスで選ばれた権力といえども、ここは絶対やってはいけないんだ」「こういうことはやってはいけないんだ」そういう縛りをかけておかなければ、民主主義は少数者に対する迫害になる。だから民主主義と立憲主義というのはセットなんです。こんなこと世界の常識です。

本人の了解を得ていませんから、「とある」と申し上げたいと思いますが、とある憲法学者の方が――この集団的自衛権の話のもっと前です――3分の2の国会の要件をはずすという裏口入学の憲法改正から入っていこうという試み、企てがなされたそんなころ、お話をしていたら、「自分は立憲主義の重要性を十分に伝えてこなかったことに忸怩たる思いがある。立憲主義というのはあまりにも当たり前すぎて、しっかりと伝えてこなかった、そのことに忸怩たる思いがある」というふうにおっしゃっていました。

安倍総理大臣は歴史に残る仕事をされたと思います。この国に、いかに立憲主義というのが重要か、そのことを当たり前すぎていかに忘れていたか、そのことを私も含めて多くの人たちに知らしめた、この限りにおいてはたいへん大きな功績だと私は思います。
(ここまでで3/1程度。相当の長文ですので「本文」でお読みください! ここです!)

  
    













  「9月20日付…「読売新聞」には、18日の委員会について
  「採決 スクラム戦術」と自民党の作戦勝ちを誇るような記事が掲載…
  「この日早朝与党の特別委メンバーらは委員会室に集まり、
  綿密な打ち合わせを行っていた。
  自衛隊出身の佐藤氏(正久・与党筆頭理事)が、防衛大学校の開校祭の」
  =以上=

  採決記録なしという致命的な失敗をしたスクラム戦術によって、
  法的に成立していない『安保法』を施行することは、法治国家ではできない。
  『安保法』は白紙撤回するしかない。
  =以上=

  ヒゲの隊長が主犯だと認めた読売。
  「採決 スクラム戦術」と命名。
  =以上=

  参院特別委で与党委員が委員長席を取り囲んだのは防衛大学校の開校祭の
  メインイベント棒倒しをヒントに佐藤氏が指導したなど舞台裏を得々と書いている読売新聞。
  議事録に何も残らない騒動を「採決 スクラム戦術」などと美化する愚
  =以上=

  ははは)))

  自慢話のつもりが、
  法的に無効だって言い表していることに気が付かないwww

  これを世間では、
  贔屓の引き倒し(do somebody a disservice by showing him too much partiality.)  
  と、言うのですねwww

  ほんでもって、
  ヒゲの隊長、世界デビューを果たしました。

  1100万以上のフォロワーが居るBBC News (World)に
  キッチリとあのパンチの写真が貼られてあるわね。
  決して好意的には捉えてくれてないってことだけは確かねwww

  ザ・タイムズにも、
  RTにも、。。。
  パンチ一つで、
  えらい出世をしたものだと思いますね。

  それは同時に、
  軍人が政治家になった時の「本性」を表したのだと理解しました。

  ヒゲ隊長の向いてる方向は国民の方向ではないってこと。
  時と場合によっては国民に銃口を向けるのだということを暗示していているのだと。
  本当に、ヒゲ隊長の本性を表したと言っても決して過言では無い、
  ベストなワンショットだったと思います。 

  ■BBC News (World)認証済みアカウント@BBCWorld
  Scuffles break out in Japan's upper house ahead of vote to expand role of armed forces
  http://bbc.in/1NFsSs0

  ■thetimes.
  Japanese MPs in punch-up over the end of pacifism

  ■nytimes.
  Japan Military Bills Provoke Scuffling in Parliament

  アルジャジーラもデモの写真と併せ掲載。

  平和主義の終焉だって。

  海外派兵に
  海外での自衛隊による殺戮戦に野党が国会で必死に抵抗する中、
  与党・自民党は委員会の進行の手続き無視して強引に可決させた。

  Member of Parliament を、国会議員と約して。
  「日本の国会議員は平和主義の終焉に、パンチを繰り出した」

  おいおい、
  なんと言う狼藉、。。。

  新聞社で、世界配信。
  最低でも世界で数億人は見ているでしょうし読んでるでしょう。
  ヒゲの隊長が何者であるかってこと、。。。

  中東アルジャジーラのニュースにも出てしまったヒゲパンチ。
  サマーワの人達は、
  作り笑顔でやってきた自衛隊の指揮官の本性を見てしまったのではないか?
  
  まさに、。。。。。。




■【この記事のキーワード】伊勢崎馨, 安倍晋三, 自民党 2015.09.21
リテラ
民主党“暴力”批判に騙されるな!
最初に暴力をふるったのは自民党、ヒゲの隊長と安倍首相が指示していた

http://lite-ra.com/2015/09/post-1513.html

 18日未明の参議院特別委員会、そして本会議での安保法案の可決は、戦後の国会史上最悪の暴挙であり、議会制民主主義の“死”をも意味するものだった。しかしそれ以上に唖然とさせられたのが、これを伝えるマスコミ報道だ。
 
そのほとんどが“野党民主党の暴力”を強調するものだったからだ。
例えば、安倍政権の親衛隊メディア「産経新聞」(9月18日付)では、特別委員会のドサクサ紛れの採決について民主党をこう批判した。
「民主党など野党は、法案の採決を阻もうとあらゆる手段を繰り出した。その最終段階で国民が目にしたのは、他の議員の背後から飛び乗ったり、議事進行に必要な書類を無理やり奪おうとするといった、およそ立法府にあるまじき光景だ。暴力まがいの行動に訴える国会議員に、日本の平和と安全保障政策を論じる資格はない」 
 
さらに9月19日放送の『ウェークアップ!ぷらす』(読売テレビ)では、冒頭から司会の辛坊治郎が野党の暴力をことさら強調してみせた。
「それに至る大混乱は、成熟した民主主義国ではあまり見ないというか、まず見ない!」
「途上国の議会でもこの手の大混乱はニュースになることありますが、ちょっとこれはあまりに恥ずかしすぎると正直思います」
 
産経や読売テレビといった保守メディアだけでなく、『情報ライブミヤネ屋』(読売テレビ)、『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系)など、ほぼすべての情報番組で「国際的に恥ずかしい」「もっと冷静になってほしかった」などとその混乱の責任は野党の側にあり、「暴力」で採決を阻止した野党といったコメントが氾濫したのだ。
 
だが、すでに明らかなように、特別委員会の混乱の原因と責任は与党自民党の側にある。鴻池祥肇委員長を最初に自民議員のスクラムで囲って不当採決を行おうとしたのは自民党だ。それを突破しようとした民主党の小西洋之議員の顔を、ヒゲの隊長こと佐藤正久自民党筆頭理事がパンチした映像も出回っている。

暴力により“強行採決”を仕組んだのは自民党側だということは、誰の目からみても明らかだろう。
 
それどころか、特別委員会でのバリケート採決、暴力沙汰による委員会採決は自民党が事前に綿密に計画し、さらに安倍首相自身からの指示さえ存在したものだった。
 
9月20日付の安倍首相親衛メディア「読売新聞」には、18日の委員会について「採決 スクラム戦術」と自民党の作戦勝ちを誇るような記事が掲載されているが、その中にこんな記述がある。
「この日早朝与党の特別委メンバーらは委員会室に集まり、綿密な打ち合わせを行っていた。自衛隊出身の佐藤氏(正久・与党筆頭理事)が、防衛大学校の開校祭のメインイベント「棒倒し」から着想した隊形で委員長を守ることを指示した。安倍首相は参議院議員の世耕弘成官房副長官に、「委員長を孤立させたらダメだ。野党の暴力にひるんではだめだ」と指示していた」
 
舞台裏や、佐藤議員の武勇伝を紹介しようとした記事なのだが、何のことはない、自民そして安倍首相自身が暴力を率先して誘発させ、先制攻撃を指示していたことを明らかにしてしまったのだ。
 
しかも、である。今回の安倍政権による集団的自衛権、安保法制はある意味クーデターとも言える事態だ。安倍首相は総理に就任して以降、公共放送NHKの会長に子飼いの籾井勝人をすえ大本営化し、他大手マスコミに恫喝とお友達懐柔でプロパガンダ機関とすることに成功させた。さらに内閣法制局トップや日銀総裁までも“お友達”を送り込み、首をすげ替えた。もちろん官邸、閣僚も自分の意のままになる親衛隊たちだ。
 
こうして周りを固め、独裁態勢を構築した末に、一方的な解釈改憲によって集団的自衛権を閣議決定し、安保法案を成立させたのだ。これはまさしく独裁的手法でありクーデターといえる事態だ。
にもかかわらず、すっかり統制されコントロールされた大手マスコミは、自民党、安倍政権の暴挙を野党の責任にすり替え矮小化するのに必至だ。
9月19日は「自民党が死んだ日」であるとともに「マスコミが死んだ日」になったのかもしれない。
(伊勢崎馨)







  良識の府であるはずの参院は、
  完全に威厳を失ったともいえる。
  この失ったものを取り戻すことは、容易ではないだろう。

  それは、
  同時に、
  自公暴走に直結するものであり、
  自公政権の終わりの始まりを意味するものだと私は思う。




■安積 明子 :ジャーナリスト 2015年09月19日
安保法案可決の参院、振り返れば問題だらけ
「良識の府」の威厳は完全に失われた

http://toyokeizai.net/articles/-/85243

安保法案は19日午前2時過ぎに参院本会議で可決された。ここに至るまでの間に参院が失ったものは大きい(写真:REUTERS/Yuya Shino)
 後の世の人たちは、ここ数日の永田町で繰り広げられた一連の出来事を、いったいどのように評価するのだろうか。9月19日午前2時過ぎ、安保関連法案は参院本会議で可決され、成立した。

国会の外では「戦争法案廃案!国会正門前大集会」に集まった人々が、声を限りに「戦争法案採決撤回」「安倍は辞めろ」と叫んでいた。

民主党には「党勢回復」の狙い

「決戦日」である18日は、午前9時からの民主、維新、共産、社民、生活の野党5党党首会談から始まった。この時、参院に内閣問責決議案、衆院に内閣不信任決議案を提出することを合意したことで、会期末の「山場」が決定している。

もっとも圧倒的多数を占める与党の勢力に対して、野党が提出する決議案が可決する可能性は皆無だ。だが、可決されると内閣が総辞職しなければならないと憲法が規定する衆院の内閣不信任決議案や、政治的効果しかないが三権分立で重要な意味を持つ参院の問責決議案を出すことは、国民に対して大きくアピールすることができ、次の選挙に繋がってくる。とりわけ2012年12月に政権から転落した民主党にとって、党勢を回復するためには不可欠だ。

よって、無謀と思われるようなことは極力抑えられた。たとえば1996年に新進党が住専問題で6850億円の公的資金投入されるのを阻止すべく、衆院第一委員会室を物理的に占拠したことがあるが、今回は噂されたピケ張りは行っていない。

むしろ自民党など与党側の方が、よほどアグレッシブに見えた。与党側は18日の未明に開かれた中谷元防衛相の問責決議案を採決する本会議で、各党による趣旨説明や討論の時間を10分以内に制限することを求める動議を提出して可決。この制約は山崎正昭参院議長の問責決議案や内閣問責決議案を採決する際にも踏襲されたが、鴻池祥肇・参院平和安全保障特別委員長に対する問責決議案では趣旨説明に25分、討論については各人15分に制限された。さらに安保関連法案の採決についても、各討論者の持ち時間が15分に制限されている。

時間で粘ろうとする野党に対し、与党は時間を制限する動議を出して対抗するという形だ。同日の衆院本会議で審議された内閣不信任決議案でも、討論時間は1人15分に制限されている。

ただし趣旨弁明については時間的制限が付されなかったため、登壇した枝野幸男民主党幹事長には「4時間やるつもりらしい」との噂が流れたが、1時間40分余りで終わっている。ちなみに戦後における議場での演説では、2004年6月4日の年金法案改正についての審議の際に森ゆうこ参院議員(当時)が参院本会議場で水を飲みながら3時間1分にわたって行ったのが最長記録となっている。

地方公聴会の報告はどうなった?

「前代未聞」の事件も発覚した。9月16日に横浜で行われた地方公聴会の内容が、平和安全保障特別委員会で報告されていなかったのだ。野党の推薦による公述人の広渡清吾専修大教授と弁護士の水上貴央氏は18日午後5時に参院議員会館で記者会見を開き、この問題を訴えている。

彼らが公述人として公聴会で述べた内容は、本来なら委員会で報告され、議事録として残されるべきものだった。ところが公聴会当日は混乱のために委員会が開かれず、翌17日午前9時45分から開かれた委員会でも報告は行われないまま、安保関連法が採決されてしまったのだ。

「これは憲政史上の重大な汚点だ」「(参院)委員部に確認したが、公聴会での公述人の発言で、記録に残らなかったものはないとのことだ」

ただし彼らは自分たちの意見が記録に残されないことに不満を抱いているだけではない。公聴会を無視するということは、参議院先例280の「派遣委員は、その結果について、口頭または文書をもって委員会に報告する」に明確に反している。そもそも公述人は、議長の要請に基づいて集められる。議長の権威はどこに行ったのか。

会見に同席した福山哲郎参院議員がこう証言している。「実は17日朝の平安特理事会で鴻池委員長が職権で立てた議事の中に、『派遣報告』はあった。しかし与党がああいう暴力的強行採決をしてしまったので、報告がされていない」。

さらに、公述人の水上氏は鴻池委員長の17日の採決について、法律家の立場から疑義を述べている。議事が確認できないため、採決は無効になるのではないか、というのだ。

17日の委員会の速記録の未定稿版には、採決の様子が記されている。鴻池委員長の解任動議が否決された後、代理を務めていた自民党側の筆頭理事の佐藤正久参院議員が「速記を止めて下さい」と述べて鴻池委員長と交代。そしてマイクの音声が消されたまま、鴻池委員長の発言は「……」と記録されており、議事録には「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」と付記されているのだ。

動画もチェックしてみたが、この時は音声が消された状態で、与野党の議員たちが一斉に委員長席に駆け寄っている。その後に音声は復活し、各自の席に付いていた自民党の同委員会の委員たちは何度か立ちあがって万歳したが、鴻池委員長の声は周囲の怒号のためによく聞き取れなかった。

つまり、採決が行われたことが記録として残されていないのである。

大沼みずほ参院議員が投げ飛ばされた?

採決の際には、男女の議員の間で暴力事件もあったようだ。「辞めなさい、暴力」「あなたが叩いたでしょう」というやり取りも聞こえた。報道によると、自民党の大沼みずほ参院議員が民主党議員からはがいじめにされ、投げ飛ばされて負傷したという。

安保法案については「成立したからといって、すべてが終わったわけではない。法律を廃案にする立法への取り組みなど、やれることはある。野党にとって正念場は、これからかもしれない」と、楽観視する向きもある。

だが「参議院」そのものが負った傷は大きい。衆人環視のもとで、さらした混乱を多くの国民は、冷めた目で見つめていたはずだ。解散がなく6年の任期を与えられる参議院議員は、大局観をもって冷静沈着な議論を行うことを期待されていることは、言うまでもない。にも関わらず、暴力沙汰さえ起こるとは・・・。良識の府であるはずの参院は、完全に威厳を失ったともいえる。この失ったものを取り戻すことは、容易ではないだろう。


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