s-20190810吉川晃司


 それもうねぇ、
 声も出ないぐらいビックリしたこと。

 靖国神社に遊就館ってあるじゃないですか、
 そこで、こんなモノが売っていたのだと言います
 (今は売ってないらしいけれど…)

 人間魚雷「回天」を、靖国神社とキューピーでコラボグッズにしていると、…。
 ナニ考えているんだ、おまえら!
 本当にねぇ、気がしれないわ、。。。
 
 靖国神社の言うところの「英霊」を、
 これほどバカにした話はないじゃないですか!!! 
 ふざけるなって、本当に、ふざけけるなって。
 人、一人の命をナント思ってるんだろうね。

 ネトウヨ君、
 君達も下らない国家のためになんぞ死んだら犬死だからね。
 君達が大事に思う親御さん、奥さん、恋人、友人を大切にすること。 
 何よりも、命を大事にして生きていて欲しいと思う。

 そして、
 いとも簡単に、他人様に対して
 「●ね」だとか、「皆●し」だとか、「反●」だとか、
 そういう言葉を吐かないことだと思う。

 君に大事な命があるように、 
 君以外の人達にも大事な命があるのですから、。。。






戦争の懸念あちこちに 空々しい「不戦の誓い」セレモニー 
戦争の懸念あちこちに 空々しい「不戦の誓い」セレモニー 


●2019/08/15 日刊ゲンダイ
戦争の懸念あちこちに 空々しい「不戦の誓い」セレモニー
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/260317


虚しいワンパターン式辞(C)共同通信社

 今年も、この日がやってきた。74回目の終戦記念日となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、安倍首相は例年、式辞で「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と不戦の決意を口にする。

 だが一方で、歴代首相が表明してきた「深い反省」や「お詫び」の言葉は消え、第2次安倍政権では、首相式辞でアジア諸国への加害責任に言及することがなくなった。「加害と反省」の代わりに「国の未来を切り開く」ことを誓うのが、安倍式辞のパターンだ。

「戦没者を悼むのは当然のことですが、『戦禍に倒れた人たちの尊い犠牲の上に今の日本の平和と繁栄があることに思いを致す』と総括するだけでは、戦争当事国として無責任ではないでしょうか。他国の被害者にも思いを馳せ、反省と謝罪を続けなければ、不戦の誓いも空虚に響くだけです。過去の反省なくして未来を切り開くことなどできません。安倍首相は『歴史と謙虚に向き合う』と口では言いますが、原稿を棒読みしているだけで、まったく心がこもっていない。日本が加害者だったという意識はないのでしょう。侵略ではなく自衛のための戦争だったと本気で信じているのだと思う。歴史に正しく向き合い過去に学ぶ気持ちがないから、隣国に対して居丈高に拳を振り上げる。失政を隠すために外に敵をつくるのは権力者の常套手段ですが、悲惨な戦争の記憶が薄れた国民もそれに安易に乗っかってしまう。非常に危険な最近の風潮です」(政治評論家・本澤二郎氏)

 慰安婦や徴用工の問題に端を発し、輸出規制は経済報復合戦にヒートアップして日韓関係はかつてないほどに緊張している。そんな中で迎えた令和最初の終戦記念日。安倍がいくら神妙な顔つきで式辞を読み上げ、世界平和を唱えたところで、実際にやっていることを見れば、不戦の誓いなど心の片隅にもないことは明らかだ。率先して世論の韓国憎悪を煽る首相によって、厳粛な終戦記念日も空々しいセレモニーになり下がってしまう。

広島、長崎も「コピペ原稿」の不誠実

 安倍は広島・長崎の式典でも、犠牲者や遺族を侮辱するような言動を続けている。6日の広島市の原爆死没者慰霊式・平和記念式典と、9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典でのあいさつが毎回、“コピペ”だと指摘される。広島、長崎の両市長が渾身の式辞を練り上げて、世界に核廃絶を訴えかけるのと対照的だ。

 原稿の使い回しは不誠実きわまりないし、本音では戦争や核兵器保持にシンパシーを抱いているのではないかと疑いたくなる。なにしろ安倍は、式典のあいさつで核兵器禁止条約に言及することもやめてしまった。

 今年の長崎の式典では、市長が「日本はいま、核兵器禁止条約に背を向けている」と直言。「一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください」と訴えた。さらには「何よりも『戦争をしない』という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます」と踏み込んだ。被爆者代表も「米国に追従することなく、核兵器に関する全ての分野で核廃絶の毅然とした態度を」と迫っていた。

 憲法を軽んじ、平和の訴えに背を向けるような安倍の姿勢には、国民の多くが苛立ちと不安を強めているのだが、式典後の会見で、安倍は核禁止条約に署名・批准しない考えを改めて示したのだ。

靖国神社も不気味な策動(C)日刊ゲンダイ

大メディアは戦争を美化する首相の言動を指弾しないのか


 広島・長崎の式典を終えた安倍は地元の山口県に帰省。祖父の岸信介と父の安倍晋太郎の墓参りに訪れた。そこで7月の参院選での勝利を報告し、憲法改正を誓ったという。

「参院選で自民党は議席を減らし、改憲発議に必要な3分の2議席も失ったのに、『勝った』と言い張るのは、真っ黒なカラスを真っ白なサギと言うようなもの。それで戦争準備のための改憲をやろうというのだから、どうかしています。第2次大戦後の国際社会は、国連による協調主義を基軸にしてきました。平和が何より大切だという国連憲章の理念と、平和主義を柱にした日本国憲法はセットなのです。平和憲法は戦後日本の原点と言っていい。それをどう変えるのか、中身も言わずに墓前で改憲を誓う安倍首相に対し、大メディアは何の疑問も呈さず垂れ流す。寛容の精神がなく、盲目的に米国に追従するだけの安倍首相による“なし崩し改憲”を許せば、日本はまた戦争の過ちを繰り返すことになる。毎年、メディアはこの時期だけアリバイ的に戦争関連の特集を組みますが、うわべだけの平和論ではなく、戦争を美化し、韓国との対立を煽る現政権の危うさをきっちり指弾すべきです。その程度の言論の自由も失われているとしたら、この国は末期的です」(政治評論家・森田実氏)

 終戦の日を目前に、安倍が大戦中の特攻隊を美化する発言をしていたことも分かった。米国のトランプ大統領が自身の資金集めパーティーで明かしたという。

 米ニューヨーク・ポスト紙によると、トランプから「カミカゼのパイロットは酔っぱらっていたか、薬物でもキメていたのか」と尋ねられた安倍は、「いや、祖国を愛していたからだ」と答えたとか。トランプは日本なまりの英語で安倍の真似をしながら、父の晋太郎が特攻隊の生き残りだったことにも言及。「愛国心のためだけに片道燃料の飛行機で軍艦に突っ込んでいくと想像してみろ!」と揶揄した。

もはや“戦後”ではなく戦前

「物事には原因と結果がある。原爆や戦争の惨禍という結果を8月15日に語り継ぐことは重要ですが、多くの国民が戦争の犠牲になった原因を考える必要もあります。特攻隊が国のため、天皇のために喜んで命を捧げたと、安倍首相は本気で思っているのでしょうか。それが、彼の言う『美しい国』なのか。為政者の独善や、国家主義のナルシシズムを許したら、この国はまた同じ過ちを繰り返すことになる。今年の戦没者追悼式には新天皇が初めて参列しますが、安倍政権も、支持基盤の右派も、天皇の政治利用をいとわないから心配です。あの手この手で天皇を懐柔しようとしていくでしょう。戦前回帰を望む安倍政権という危険な要因を取り除かないと、確実に戦争という結果が待っている。この国は抜き差しならないところまで来ています」(本澤二郎氏=前出)

 靖国神社が昨秋、当時の天皇陛下(現上皇)に神社創立150年に合わせた参拝を要請をしていたことが共同通信の取材で明らかになったばかりだ。宮内庁が門前払いしたのは英断というべきだろうが、“戦後”の常識が通用しない世の中になってきた。

 参院選では、安倍の街頭演説にヤジを飛ばした一般国民が警察に強制排除されるケースが全国で相次いだ。公権力の介入で芸術イベントの「表現の不自由展」が中止になるなど、表現の自由も目に見えて脅かされている。そして、ホルムズ海峡の有志連合への参加を求める米国からの圧力――。自由にモノも言えず、戦争に巻き込まれる可能性を誰も否定できない。それが“戦後”の社会の姿なのか? むしろ戦争前夜という言葉こそふさわしいのではないか。

 平成は戦争がない時代だった。終戦の日に昭和の戦争を振り返っていられたのは平和の証しだったのかもしれない。歴史に向き合おうとしない首相が長期政権で改憲をもくろみ、戦後日本の平和主義は追い詰められている。令和が戦争の時代になる懸念を拭えない不穏な終戦記念日である。



  当  ブ  ロ  グ  へ  の
  皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! あ り が と う ご ざ い ま す!



























●【NEWS23】綾瀬はるか「戦争」を聞く、シベリア抑留者たちの記憶【2019.08.15】
2019年8月15日放送 23:00 - 0:16 TBS
オープニング
オープニング映像の後、小川彩佳キャスターがオープニングの挨拶。終戦の日特集でシベリア抑留について取材した綾瀬はるかがゲストとして登場した。

(特集)
綾瀬はるか「戦争」を聞く 〜トーキョーダモイ〜 シベリア抑留者たちの記憶

安田重晴さんが大学生に語ったのはシベリアでの抑留体験。安田さんは伝える難しさを語った。安田さんは旧満州に配属された。1945年8月9日終戦直前にソ連が参戦、国境を越えて攻めてきた。戦争末期戦う力が残ってなかった日本はソ連の前に為す術もなかった。そして8月15日に終戦。降伏した安田さんたちはソ連兵に促され列車に乗る。直前に聞いたトーキョーダモイという言葉を信じ東京に帰れると思ったが、太陽の向きが逆であることから騙された事に気づいた。大陸で終戦を迎えた多くの日本兵や一部の民間人はソ連やモンゴルなどにあった収容所に送り込まれた。そこで木の伐採や鉄道建設などを強制された。60万人が抑留され、6万人が死んだと言われているが現在も正確には分かっていない。抑留を命令したのはスターリン。ロシアもドイツとの戦争で多くの国民が死に国は疲弊していた。スターリンは不足した労働力を補うために日本人を利用した。

安田さんが収容所についた10月、シベリアの冬が始まっていた。収容所には鉄条網がはられ、四隅には見張り台があった。寝起きするのは隙間風が入り込む粗末な丸太小屋。何十人も重なり合うようにして寝た。マイナス40℃にもあるシベリアの冬に薪ストーブ1つだけだった。安田さんが命じられたのは木の伐採。最初に戦ったのは寒さ。その次に襲ってきたのは空腹。そして毎日仲間が死んでいった。安田さんは誰かが死ぬとその人が着ていた物を取って仲間と衣類を分けた。明日は自分もこうなるかもしれないという気持ちがあるからかわいそうとも言えなかったと話す。都内に住む中島裕さんも抑留経験者。中島さんが描いた絵には健康診断の絵が描かれていた。お尻の弾力でどの程度働けるのかを判断した。 栄養失調になってもつねったお尻が元に戻れば重労働に駆り出された。中島さんも寒さと飢えに苦しんだ。中島さんは中身は雑穀。精白機がないからほとんどが殻つき。他に食べるものがないから排泄物を洗い直して煮て食べたと話した。安田重晴さんは次から次に死んでいくのをみると可愛そうで一時はだめかなと思ったが、石にかじりついても死なないという気力だけで生き抜いた。シベリアの抑留は戦争が終わってから連れて行かれて死んだ。6万人ぐらいが死ななくてもいい人間が死んだと話した。

抑留された日本人によって建てられたアパート。日本人の勤勉さと丁寧な仕事は高く評価されていた。当時、多くの抑留者が建物建設に駆り出された。安田さんが寒さと飢えと仲間の死に直面した収容所は今、どうなっているのか。

太平洋戦争終戦時、大陸にいた日本人のうち60万人近くがソ連などに連れて行かれ強制労働させられたシベリア抑留。安田さんがいた収容所に向かうと、森の奥深くに収容所はあったという。今は道もなく村人も立ち入ることができない。数年の抑留の後、ソ連から日本に戻った人は舞鶴の港で祖国の地を踏んだ。最後の船が舞鶴港に入ったのは終戦から11年後だった。安田さんも3年間の抑留を得て舞鶴に帰ってきた。その時目にした景色も鮮明に覚えているという。安田さんは事実が語り継がれていくことを願っていた。

特集「戦争」を聞く シベリア抑留者たちの記憶
綾瀬はるかは実際に私たちと同じ時代を生きている方が想像を絶する経験をしていることに驚いた。星浩はシベリア抑留は日本の政治外交の中でも深い爪痕を残していて、悲劇が重なった。終戦の混乱でソ連に連行された、国際法違反の捕虜・虐待が続いた、そういう状況であるにも関わらず負けて主権を奪われたため日本政府が抗議や奪還ができなかった。更にシベリア抑留の関係者が少なくなることで経験が語り継がれなくなっているという新たな悲劇が生まれつつある気がするとした。

特集「戦争」を聞く 綾瀬×小川 同世代が伝える戦争
綾瀬はるかは安田さんの話で印象的だったのが、自分が話してもどのくらい伝わっているのかわからないと言っていたが、これから体験者が少なくなっていくに連れ伝えていくことが難しくなっていくと思うので貴重な話を聞くことで一人ひとりが平和ということがどういうことが考えるきっかけになればいいと話した。
【レギュラー出演】 小川彩佳 , 星浩 , 山本恵里伽 , 石井大裕
【ゲスト】 綾瀬はるか
【声の出演】 永松伸吾
【その他】 山本直 , 村瀬健介 , 飯坂侑士 , 久能木百香 , 村木祐輔 , 安田重晴 , 中島裕
 アンナ・カシィーリナ , 所功 , 田中宏明
番組HP:番組HP:https://www.tbs.co.jp/news23/
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綾瀬はるか「戦争」を聞く“広島”“シベリア抑留”を取材『NEWS23』特別企画8・6、15放送
『NEWS23』“特別企画 綾瀬はるか「戦争」を聞く”TBS

『NEWS23』(TBS系)で“特別企画 綾瀬はるか「戦争」を聞く”が8月6日(火)、15日(木)の2回にわたり放送される。

 毎年、さまざまな戦争体験者の声に耳を傾け、その平和への願いを伝えてきた綾瀬はるか。今年、綾瀬は2つのテーマを取材した。

 8月6日(火)放送では、綾瀬の出身地である広島を取り上げる。現在、多くの外国人観光客や修学旅行生が訪れる広島平和記念公園。原爆投下前、この一帯は繁華街で、映画館や喫茶店などが建ち並び、人や荷物を運ぶ船が行きかう活気あふれる場所だったという。

 原爆で一瞬にして消えてしまった街を再現しようと、広島市は4年ほど前から平和記念公園で発掘を行っている。出てきたのはビール瓶や色鮮やかなタイル、おしゃれなお皿など、人々が暮らしていた痕跡だった。

 当時のにぎやかな様子、そして、すべてを一瞬で奪った原爆…。74年前、今の公園内にあった天神町で暮らしていた女性に、綾瀬が話を聞く。

 終戦の日である8月15日(木)放送では、番組を20分拡大し「トーキョーダモイ〜シベリア抑留者たちの記憶」を放送する。1945年8月15日。戦争が終わったはずの中国大陸では、新たな「戦争」が始まっていた。

 北から攻め込んできたソ連兵に、およそ60万人もの日本人が「トーキョーダモイ(東京に帰る)」とだまされ連行されたのだ。向かった先はシベリア。冬には氷点下40度にもなる極寒の地で、彼らは強制収容所に入れられ、森林伐採などの重労働を強いられた。

「そこは地獄だった…」と、多くの体験者が証言する。60万人の抑留者のうち、1割にあたる6万人もの人たちが寒さや飢えで死んでいった。

 綾瀬が訪ねたのは、京都府の日本海に面した港町・舞鶴。シベリアに抑留されたものの、何とか命をつなぐことができた日本兵や民間人は、この港へ帰ってきた。戦争が終わったのに、なぜ多くの人が死ななくてはならなかったのか?抑留者たちは何を見て、どのようにして生き延びたのか?平均年齢96歳となった抑留体験者たちの話に、綾瀬が耳を傾ける。

 綾瀬はスタジオにも生出演し、8月15日以降も続いた「シベリア抑留」という「もう一つの戦争」の実態を伝える。

<綾瀬はるか コメント>
今回は、飢えと寒さの中で過酷な労働をさせられ、次々と仲間が死んでいくシベリア抑留の壮絶な体験談をお聞きしました。
体験を話してくださった安田さんは、戦争の苦しみを伝えていくことの難しさを仰っていましたが、お話を聞かせて頂いた一人として、私も一人でも多くの戦争を知らない世代の方々にお伝えしていきたいと思います。

『NEWS23』特別企画 綾瀬はるか「戦争」を聞く
TBS系
8月6日(火)後11・00〜11・56
8月15日(木)後11・00〜深0・16 ※20分枠大








●【news23】綾瀬はるか「戦争」を聞く、原爆で消えた街 【2019.08.06】
▼#綾瀬はるか 「戦争」を聞く
きょうは #広島 に原爆が投下された日
かつては街だった #平和記念公園
綾瀬さんが当時住んでいた方に話を聞きます
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綾瀬はるか「戦争」を聞く
平和記念公園

綾瀬はるかがリニューアルした平和記念資料館を訪れた。新たに展示された手記は、爆心地近くの学校で被爆した18歳の男性が記したもの。被爆翌月から3年後に亡くなるまでの思いの丈が綴られている。資料館のリニューアル工事では、たくさんの人の営みが発掘された。

鉄村さんはかつて平和記念公園の近くに住んでいた。今は地名も残っておらず、そこには慰霊碑があった。鉄村さん家族の名前を刻まれ、母と弟の二人家族全員を失った。原爆ドームは昔からシンボルで、産業奨励館と言われていた。広島の中で最もにぎやかな町で川沿いには旅館が立ち並び子供の遊ぶ声が響いていた。1945年8月6日、鉄村さんはその朝4キロ離れた工場に向かっていた。それが家族との最後だったという。天神町は原爆が炸裂し爆心から500メートルの距離だった。鉄村さんは自宅のあった場所に急いだが焼け野原だったと答えたが母親の眼鏡が落ちていたという。今公園になっていることについて家があって焼け野原になったということは知らない人が多いのではないかと答えた。

原爆投下から74年 核廃絶へ日本は
今日朝早くから平和記念公園に被爆者や遺族が訪れて犠牲者を悼んだ。広島市の松井一実市長は式典で被爆者の思いとして日本政府に核兵器禁止条約の署名と批准を求めた。安倍総理は挨拶の中で核兵器のない世界への実現に向けて努力をたゆまず続けることとした。さらに綾瀬はるか「戦争」を聞く 〜トーキョーダモイ〜は8月15日に放送
【レギュラー出演】 小川彩佳 , 星浩 , 山本恵里伽 , 石井大裕
【特別出演】 綾瀬はるか
【ゲスト】 渋野日向子
【声の出演】 藤井佑実子
【出演】 渋野伸子 , 田淵潔 , 坪井広美 , 田村規充 , 鉄村京子 , 有賀努 , 外山智也
番組HP:https://www.tbs.co.jp/news23/
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●毎日新聞 2019年8月5日
綾瀬はるか
故郷広島、シベリア抑留を取材 「『戦争』を聞く」が8月6、15日放送

https://mainichi.jp/articles/20190804/dyo/00m/200/024000c


京都府舞鶴市を訪れた綾瀬はるかさん (C)TBS

 女優の綾瀬はるかさんが戦争体験者について取材する、TBSのニュース番組「NEWS23」内の特別企画「綾瀬はるか『戦争』を聞く」が、8月6、15日の午後11時から放送される。広島への原爆投下日にあたる6日は、綾瀬さんの出身地でもある広島を取り上げた「1945年8月6日 天神町」、終戦の日の15日は番組を20分拡大し、シベリア抑留について取り上げた「トーキョーダモイ〜シベリア抑留者たちの記憶」を放送する。

【写真特集】綾瀬はるか、ふるさと広島へ 原爆ドームを見つめ…

 「1945年8月6日 天神町」は、原爆で消えてしまった街を再現しようと、広島市が4年ほど前から行っている平和記念公園の発掘を取材。いまの公園内にあった天神町で暮らしていた女性に、綾瀬さんが話を聞く。

 「トーキョーダモイ〜シベリア抑留者たちの記憶」で取り上げるのは、終戦後、中国大陸に攻め込んできたソ連兵に、およそ60万人もの日本人が「トーキョーダモイ(東京に帰る)」とだまされ、氷点下40度にもなるシベリアで抑留され、1割にあたる6万人が寒さや飢えで死亡したシベリア抑留。綾瀬さんは、抑留者の多くが引き揚げた京都府舞鶴市を訪ね、平均年齢96歳となった抑留体験者たちの話を聞く。綾瀬さんは、スタジオにも生出演する。

 綾瀬さんは今回の取材について「今回は、飢えと寒さの中で過酷な労働をさせられ、次々と仲間が死んでいくシベリア抑留の壮絶な体験談をお聞きしました。体験を話して下さった安田さんは、戦争の苦しみを伝えていくことの難しさをおっしゃっていましたが、お話を聞かせていただいた1人として、私も一人でも多くの戦争を知らない世代の方々にお伝えしていきたいと思います」と振り返っている。



 最後まで読んでいただきありがとうございました!
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