s-20180405知る権利




 発表に先立ち、同団体は4月11日の声明でも、
 国谷裕子さんや古舘伊知郎さん、岸井成格さんら
 人気ニュース番組のキャスターが一斉に降板した問題を取り上げ、
 「安倍晋三政権はメディア規制を強め、市民の知る権利を奪っている」と指摘していた。


 「権力の言う『公平性』」よりも
 「『権力チェック』の公益性・知る権利」が優先する。
 異論排除の「国益論」には負けない!
 『クロ現』降板の国谷裕子が問題の菅官房長官インタビューの内幕を告白!
 「メディアが同調圧力に加担」との警鐘も。
 http://lite-ra.com/2016/04/post-2160.html …


 国谷裕子がNHK『クロ現』降板の舞台裏を告白!
 現場では続投方針だったのに突如、上層部から交代指示が…
 安倍総理の圧力により、知る権利を守ろうとした有能なキャスターたちが
 次々と消されていった。
 しかし、次に消えるのは総理、貴方の番だろう。


 私達の知る権利は民主主義に直結するが、
 資本依存が強権を許し、支配を許容し、独裁を受入れる。


 NHK の政府広報化が止まらない
 板野氏返り咲きを発表 関係者「首相 #官邸 の意向」。
 板野氏は籾井勝人前会長時代の2014年4月〜16年4月に専務理事を務め、
 政権の意向背景に「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターの
 降板主導するなど放送番組への介入を繰り返したとされる
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000052-mai-soci.view-000 …


【怖い時代】NHKの専務理事に、アベ官邸と近い関係とされる板野裕爾氏が返り咲く。
 クローズアップ現代の国谷裕子キャスターの降板を主導したとされる人物だ。
 内政外交でほとんど成果を出せず、新元号に新紙幣で気分を煽る。
 さらに、大本営体制へ一歩一歩です。


 驚いた... 。
 もっと凄まじいインタビューだと思っていた。
 国谷裕子氏は感情的にもなっていないし質問も常識的なものばかり。
 たかだかこのレベルでスガ&アベ官邸が怒ったというなら、
 彼らが裏でやってることは、どれほど真っ黒なんだよ...





20160825菅官房長官


20140711クローズアップ現代3
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【集団的自衛権】菅官房長官に問う



 うーむ!
 菅義偉この方の、真の姿は、
 この番組にあったのだと思います。
 国谷さんを睨んでいた姿こそ、
 菅義偉の真の姿なんだと、。。。。。



■2014-07.03 「集団的自衛権」菅官房長官に問う
クローズアップ現代の全文の書き起こし。


国谷キャスター:
こんばんは。
クローズアップ現代です。
今夜は、菅官房長官をお迎えしています。
政治部の原記者と共に、聞いてまいります。
まず長官、日朝協議を巡る進展がありました。
北朝鮮が設置する特別調査委員会が、実効性のあるものと判断されて、一部制裁解除ということが発表されたわけですけれども、拉致被害者の家族の方々ですけれども、これまで繰り返し北朝鮮には裏切られ、翻弄されてきた。横田早紀江さんは、拉致されている被害者の消息が具体的に分かった段階で、制裁を解除してほしかったというふうにもおっしゃってるんですけど、この家族の方々の声というのは、どのようにお聞きになりますか?

菅官房長官:
まず今回、長年にわたり、この固く閉ざされていた扉ですよね、この扉を、まずようやく開けることができたわけですね。このことは、安倍政権はまさに拉致問題は安倍政権、安倍総理の下で解決するという、強い決意のもとで、私ども、ありとあらゆる可能性にかけて、今日まで取り組んできました。その結果としてですね、今回、ようやくこの扉を開けることができて、スタートラインにこれ、立つことができたというふうに思っています。

制裁の解除については、あす、閣議決定を行って、発表するわけですけども、ここに至るまでも、さまざまな交渉があったということであります。そして今回ですね、7月1日に日朝の政府間交渉をやりました。そこの最大の焦点はですね、北朝鮮側の調査機関、すべての組織、そうしたものを調査することができる機関を設置するということで、かつては合意してましたんで、それに当たるかどうかということについて、一番、何回となく、これは集中的に質疑を行ったと。

まぁ、その結果としてですね、国防委員会や国家安全保衛部という、まさにこの最高指導機関である、特別な権限を持った、そうした機関を発表したわけでありますので、政府としては、さまざまな観点、これを考えて、この一定の体制を整えたという判断をして、あす、正式に閣議決定をして解除する。そういう方向になったということです。

国谷キャスター:
家族の思いも裏切らない。

菅官房長官:
それは全く、家族の皆さんも、まず交渉してほしい、交渉が始まらなきゃ、何もできないわけですから、ここは家族の皆さんも、やはりとにかく交渉を始めてほしいという強い思い、交渉を始めるに当たってですね、北朝鮮からさまざまなこれは要求になりますし、私たちも考え方がありますから。そういう中で、まず交渉できることになるために、本気度を私たちは調べたうえで、そこは解除に踏み切ると、そういうことです。

原記者:
長官、次の展開で、最も重視するタイミングとか、今後の見通しというのは、どういうふうにご覧になっていますか?

菅官房長官:
これについては、とにかくだらだらだらとやることは絶対まかりならないと、私は思っていますから、この日朝の間で文書を交わされましたね、ストックホルムで。その際に私はまず、期限を決めるべきだという形で今、1年以内という話をしました。そうした段階で7月1日の今回の協議で、1年ということには留意するということまでなりました。そして、この夏の終わりから秋の初めにかけて、まず調査した結果、第一報というものを報告をするという、そういうことにもなってますので、そうしたものを受けて、日本から北朝鮮に行って、日本の調査団の滞在とかですね、あるいは関係者の面談だとか、あるいは関係者が生活する部分に日本の調査団が足を踏み入れるとか、そういうことについても、合意をいたしておりますので、まず立ち上げて、その第一報の報告、そうしたことが一つのヤマになるんだろうというふうに、まず最初の山だというふうに思っています。

原記者:
かなり本気だという感触はありますか?

菅官房長官:
今回の陣容を見てみますと、そこは全体の最高指導機関である国防委員会からこの委員会に特別な権限を付与されているという、そこの、日本でいえば、副総理級の人が今度、委員長になりますから、そこの陣容としては、私たちは整っているというふうに思います。ただ、今までさまざまなことをわが国は経験をしています。ですからですね、そこは慎重な上にも慎重に、ここはしっかりと対応していきたいというふうに思ってます。

国谷キャスター:
このあとも菅官房長官にお聞きしてまいります。
ここからは集団的自衛権の行使容認について考えていきます。
従来の憲法9条の政府見解の解釈では武力行使が許容されるのは日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとされてきました。政府は憲法9条の解釈を変更し日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し日本の存立が脅かされ国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に必要最小限度の実力の行使をするのは憲法上許容されるという解釈を打ち出し戦後日本の安全保障政策を大きく転換する閣議決定を行いました。

日本を取り巻く安全保障環境の変化が最大の理由だとしています。憲法解釈の結論として許容されないとしてきた集団的自衛権を容認するという大転換。政府は、あくまで安全保障政策の根幹を成す専守防衛、武力行使は自衛のために限るという方針に変わりはないとしています。これまで世界の多くの戦争が自衛の名の下に行われてきたのも事実です。

憲法9条による徹底した平和主義が貫かれてきた歴史にはそうした背景もあります。それだけにこの憲法9条の精神を貫くためにはより具体的な武力行使への歯止めが求められています。重大な解釈の変更であるにもかかわらず閣議決定に至るまでの過程で国民的な理解、そして議論が深まっていないという声が多く聞かれます。なぜ今、この大転換なのか。集団的自衛権の行使容認は限定的だといっても果たして歯止めは利くのでしょうか。

ナレーション:
集団的自衛権の行使容認に強い意欲を示してきた安倍総理大臣。
歴代の政権は集団的自衛権について憲法9条の下では「持っているが、使えない」としてきました。

鈴木首相(当時)
「集団的自衛権はない。
憲法上は許されないわけですから。」

中曽根首相(当時)
「集団的自衛権に参加しようということは、憲法が許さない。」

小泉首相(当時)
「集団的自衛権については、憲法上許されないと考えてきております。」
<集団自衛権は憲法上許されないとの見解の映像が流される>


ナレーション:
集団的自衛権の行使は許されないという憲法解釈が示されたのは昭和47年の政府見解でした。当時、ベトナムではアメリカが集団的自衛権を行使し戦争を行っていました。日本は、集団的自衛権を憲法上、どう位置づけるのか政府は国会で見解を求められます。そのとき示されたのが自衛権の行使が許されるのは日本が侵害を受けた場合に限るとして集団的自衛権の行使は憲法上許されないという解釈でした。

今回、安倍政権はこの見解の中にあった文言を引用して「集団的自衛権の行使は容認できる」という逆の解釈を導き出します。昭和47年の政府見解をもとに当初、自民党が公明党に示した武力行使の新たな3要件。47年見解にはなかった「他国に対する武力攻撃」を加えることで集団的自衛権の行使を可能にする内容となっています。

これに対し公明党は拡大解釈されかねないと懸念を示します。集団的自衛権の行使にどう歯止めをかけるのか議論が続きました。その結果、自民党が示した文案で「他国」とされていた文言を「日本と密接な関係にある他国」に修正。また、「おそれ」とされていた文言を「明白な危険」に変えました。政府は、従来の政府見解の基本的な論理の枠内で導いた結論だとしています。

アベの映像が挿入されている。
「憲法の規範性を何ら変更するものではなく、新3要件は憲法上の明確な歯止めとなっています。」


ナレーション:
しかし、今回の閣議決定では自衛隊の任務がどこまで拡大するのか具体的なことは示されませんでした。与党協議では当初シーレーン・海上交通路での国際的な機雷の掃海活動など8つの事例について議論しました。しかし、自民党と公明党の間で考えの違いが表面化し結論は出ていません。どういう場合に武力の行使が許されるのか。時の内閣が総合的に判断するとされています。

国谷キャスター:
菅さん、この集団的自衛権行使の容認ですけれども、これは閣議決定によりますと、日本の自衛のための集団的自衛権の行使となるのであって、他国を守るための行使はしないというふうになっています。
確認ですけれども、他国を守るための戦争には参加しないということですか?

菅官房長官:
勿論そうです。はい。

国谷キャスター:
それは明言されていると。
ではなぜ、今まで憲法では許されないとされていたことが、容認されるというふうになったのかということなんですけども、これまでは日本の安全保障は、日米安保条約の下、強大な在日米軍こそが、日本を防衛する最大の強力な抑止力になっているという考え方だったわけですけども、その安全保障環境の変化によって、この日米安保条約でも抑止力が不足、集団的自衛権によって補わなくてはならない事態になったという認識なんでしょうか?

菅官房長官:
今ですね、昭和47年の映像がありました。当時と比較をして、42年間たってるんですよね。例えば国際化、その間にどのぐらい進んだかですよね。今、わが国の国民はですね、150万人の人が海外で生活をしているんです。そして1800万人の人が、これ、海外ですね、旅行を含めて渡航してます。そうした時代になりました。

そしてまた、わが国を取り巻く安全保障の環境というのは、極めて厳しい状況になっていることも、ここは事実だと思います。そういう中にあって、どこの国といえども、一国だけで平和を守れる時代ではなくなってきたという、まずここが大きな変化だというふうに思います。

そういう中で、わが国としては、例えばですよ、これ、総理がこの政府の基本的な方針を決定をしたときに、記者会見で事例の一つとして申し上げましたけれどもですね、総理自身が国民の皆さんの生命と平和な暮らし、そして国の安全を守るために、現在の法制度で、そこについて大丈夫かどうか、そして、もし変える必要があれば、最善のほうはどうかということを、安保法制懇というこのいわゆる安全保障の専門家の皆さんにお願いをしたんですね、当時。

そして、その報告書を受けて、今回、政府の基本方針というものを、与党の中で11回議論をして、政府としての基本方針というものを閣議決定をしたんですね。そういう中で、やはりこの日米同盟、ここを強化をする。強化をすることによって、抑止力、これが高まりますから、その抑止力を高めることによってですね、わが国が実際、この武力行使をせざるをえなくなる状況というのは、大幅に減少するだろうと、そういう考え方のもとに、今回、新要件の3原則というものを打ち立てたわけであります。

例えば、一つの例としまして、総理が言ったのは、例えば近隣諸国で武力攻撃があった場合、日本は国民、かつてはそんなに海外で生活していない、今は多くの人がいらっしゃいますから、その人たちを米軍に輸送をしてもらうということに、日米の間になってます。

その米軍の輸送船、これを現在の憲法では法人を避難するための輸送船ですけれども、現在の憲法では、わが国に武力攻撃が発生しなければ、日本の海上自衛隊は防護する、護衛することもできないんですよ。ですから、果たしてそうしたことで、国民の皆さんの生命を守ることができるのかどうか。そうしたことも含めて、この隙間のない法整備をするということが、やはり極めて今、重要だろうと。

政府にとってですね、まさに政府の…という考え方の中で、今回、この閣議決定をして、閣議決定をした後に、これから法案を作るんです。法案を作るのに3、4か月、これ、かかると思いますから、国会で法案をまず、私ども政府案を作って、そしてそれを国会に提出する、その段階で、国会でこれは議論しますから、そこで徹底をして議論をする、慎重に議論をしたうえで、国民の皆さんにも理解をしていただける、そういう努力をしっかりしていきたいというふうに思ってます。

国谷キャスター:
憲法の解釈を変えるということは、ある意味では、日本の国の形の在り方を変えるということにも、つながるような変更だと思うんですけれども、その外的な要因が変わった、国際的な状況が変わったということだけで、解釈を本当に変更してもいいんだろうかという声もありますよね。

菅官房長官:
これはですね、逆に42年間、そのままで本当によかったかどうかですよね。今、大きく国際化という中で、変わってることは、これ、事実じゃないでしょうか。そういう中で、憲法9条というものを、私たちは大事にする中で、従来の政府見解、そうしたものの基本的論理の枠内で、今回、新たにわが国と密接な関係がある他国に対する武力攻撃が発生して、わが国の存立そのものが脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険という、そういうことを形の中に入れて、今回、閣議決定をしたということです。

国谷キャスター:
その密接な国というのが、どういう国なのか。
当然、同盟国であるアメリカっていうのは、想像できるんですけれども、それはあらかじめ決めておくのか、それともその時々の政権が、これは密接な関係のある国だと決めるのか、これ、限定的な行使ということをきちっと守っていくうえでも、影響がある問題だと思うんですけれども。

菅官房長官:
そこについては、同盟国でありますから、アメリカは当然であります。そのほかのことについては、そこは政府の判断、時々のこれは状況によって判断していくということに、これはなってくるというふうに思います。

原記者:
ちょっと懸念を持っている方の中では、時の政権の判断で、拡大解釈されるんじゃないかっていう懸念もあるんですけれども、その辺についてはどのように?

菅官房長官:
そこは、ここでですね、この新要件の3原則の中で、わが国の存立が脅かされる。わが国ですから。そして国民の生命・自由、そうしたものの幸福の権利が根底から覆されるという、ここで一つのしばり。また国民を守るために、他の適当な手段がないこと。さらに必要最小限度の実力行使。ここで新3要件の中で、しっかりと歯止めがかかっているというふうに思います。あくまでもわが国、国民であります。

原記者:
他国への武力攻撃が発生して、これによって日本の存立が脅かされる事態というのは、これはなかなか具体的にイメージしにくいんですけれども、これはどういう事態、具体的に何かこう?

菅官房長官:
例えば先ほど一つ事例で申し上げましたけれども、かつて北朝鮮が、日本の領空をミサイル発射しましたですよね。例えば日本海で、そうした兆候があると、そういう中でですね、アメリカの船舶と日本の船舶が警戒をしてたとしますよね。そういう中でアメリカの船舶が攻撃をされた。これは日本の安全のために出動してくれているわけですから。現在の憲法解釈では、それ、相手に攻撃することは、日本の海上自衛隊はできないんですね。それは日本が武力攻撃があって、初めてできるわけですから。果たしてそれで日米同盟が維持することができるかということです。ここはやはり、非常に問題がありますよね。こうしたことについて、切れ目のない、この法整備をしっかりしていこうということなんです。

原記者:
与党協議の中の具体的事例などでは、シーレーン、中東の例えば海上交通路ですね。あのへんは必ずしも意見が一致していなかったわけなんですけれども、政府としては、どういう立場を取ってるんですか?

菅官房長官:
ここは海洋国家ですからね、わが国。わが国にとって、エネルギーだとか、食糧、こうしたものの輸入、この安全のために、やはりこの安全を確保するということは、極めてこれ重要だと思いますよね。そういう中で、現在、ホルムズ海峡、あそこで原油の約8割が、あそこを通ってきておりますから、あそこでもし紛争が発生した場合、ここについては、機雷がまかれたような事態になれば、わが国の国民生活にとってこれは死活的な問題になりますよね。こういう状況にあったときに、先ほど申し上げましたけど、3要件、新たな3要件が満たす場合に限り、ここは憲法上、機雷を除去するために、動くことは可能だというふうに思います。

国谷キャスター:
本当に歯止めがかけられるのかということ、多くの人たちが心配していると思うんですけれども、非常にごく一部の容認だと。そしてその歯止めがかかっているということは、政府のほうから聞こえてくるんですけれども、ただ憲法上、集団的自衛権の行使が容認されるとなりますと、非常に密接な関係にある他国が、協力に支援要請をしてきた場合、これまでは憲法9条で容認されないと、認められないということが、大きな歯止めになっていましたけれども、果たして断りきれるのかと。

菅官房長官:
ここは、新要件の中に、わが国の存立を全うすると、国民の自由とかですね、そこがありますから、そこは従来と変わらないというふうに思ってます。

国谷キャスター:
断りきれると?

菅官房長官:
もちろん。

国谷キャスター:
もう一つの心配はですね、この集団的自衛権の行使が容認されるようになれば、抑止力が高まる、そして国際紛争を抑止することができるというふうにおっしゃっているんですけども、ただ、これまで日本は、非常に慎重のうえに慎重を重ねて、例えばアメリカとの一体化をしないように、非戦闘地域での活動だけに限るといったことなどをして、アメリカが敵対されるような地域でも、日本独自の活動を行って、一種の存在感というのを得られてきたと思うんですけれども、今回はそれを失うのではないか、そうした日本のプレゼンスというものを、失うおそれというのはありませんか?

菅官房長官:
それは全くないと思います。私、申し上げましたように、日本と関係のある他国に対する武力攻撃が発生をし、わが国の存立が脅かされて、そして国民の生命、そして自由、幸福追求の権利が根底から覆される明確な危険ということで、しっかり歯止めかけてますから、そこは問題ないと思ってます。

国谷キャスター:
ただ、集団的自衛権の行使が、密接な関係のある他国のために、もし行使した場合、第三国を攻撃することになって、第三国から見れば、日本からの先制攻撃を受けたということになるかと思うんですね。それは戦争っていうのは、他国の、自国の論理だけでは、説明しきれないし、どんな展開になるか分からないという、そういう危険を持ったものですから。

菅官房長官:
こちらから攻撃することはありえないです。

国谷キャスター:
しかし…。
そこは。
しかし集団的自衛権を行使している中で、防護…。

菅官房長官:
ですから、そこは最小限度という、ここに3原則という、しっかりした歯止めがありますから、そこは当たらないと思いますよ。

原記者:
抑止力を高めるということは、緊張感も高まるということにつながると思うんですけれども、今、東シナ海ですとか、南シナ海では、現実問題として、日本というよりは、中国側の事情で、緊張感が高まっているわけなんですけれども、こういった問題に対して、今後、政府としてどういうふうに取り組んでいく考えですか?

菅官房長官:
これはぜひご理解をいただきたいんですけど、わが国は10年前と比較をして、防衛力はマイナスです。そして安倍政権になって、私たちが防衛費、よく軍国主義とか、他の国に言われるときありますけど、私たちは0.8%しか伸ばしてないんです。そして昨年の暮れですね、防衛大綱というものを決定をしましたよね。

その中で、中期防衛計画というのは、現在と同じ5年間の防衛費というのは現在と同じぐらいですから、そこは明らかに日本の安全保障というのは、変わらないということが一つの証しじゃないでしょうか。しかし、近隣諸国ですよ、10年で4倍になってる国さえあるじゃないですか。そういう中で、2桁、まだ軍事費を伸ばし続けている国があります。

そういう意味において、やはりわが国の取るべき道というのは、やはり日米関係を強化して、抑止力を高めていく、このことを私たちは、今回、閣議決定をして、これから法案にするについて、法案を作るのに3、4か月と言いました。これは約1年かかると思いますよ。そういう中で、国会で審議をして、そこの日本の新3要件を含めて、国民の皆さんにしっかりとそれは理解をしていただくように、丁寧にこれから国会で審議をしていきたい、こういうように思っております。

原記者:
不安や懸念というのはありますけれども、このへんは払拭できますか?

菅官房長官:
ですから国会審議の中で、しっかりとこれは慎重に、一つ一つ、具体的なことを挙げながら、国民の皆さんに間違いなく理解をしていただけると、このように思っています。

途中で、
放送時間切れで終わりました、。。。


 そうよね、
 国谷さんの降板から、NHKへの信頼は坂道を転がるように、
 そして、イッキに奈落の底まで落ちていくんだわ、うん、…。
 
 そのガースは、今一番毛嫌いしているのが、望月衣塑子記者だよね。

 国谷さんの時のように潰されたら困る。 
 こんな優秀な人材を、
 よくも、ガースや、公共アベチャンネルは潰したなって思う。
 
 その国谷さんが問うてきたこと。
 「知る権利」 遵守 
 「情報公開」 遵守
 この原理原則を潰してしまうと、
 日本に民主主義は成り立たないし、今、崩壊寸前と思う。

 つーか、
 アベ政権に成ってから。
 公文書を、破棄、改ざん、隠ぺい、何でもありになって来たので、
 後々になって、政治・歴史の検証が出来なくなる虞があるわけだよね。

 そうね、
 アベ政権の期間は歴史にはなかったと、
 アベ政権の期間は政治の空白間だったと、言われるようになる。
 自公政治家の恥ずべき証拠となるのでしょう、。。。

 おまえら、
 後世の人達に嗤われたらイイんだって思う。
 その頃には自分たちは死んでるから関係ないって思ってるのでしょうが、
 そうは問屋が卸さない。

 50年後、60、70、80、90、百年後、
 子や孫が、曽孫、玄孫、来孫、昆孫、仍孫(存命中に仍孫が誕生した例はないらしい) 
 所謂「直系卑属」の方達に影響を及ぼすっていうことになるんだと思います。 
 遺産が誰に行こうと私の知ったこっちゃないけれど、
 
 アナタ達自公政権が、
 作ったトンでも法だとか、
 社会保障制度だとか
 他の政権が改めない限り、
 「直系卑属」の方達がもろに被るってことをお知らせしておきますね。
 バカどもに、。。。


 でね、。。。

 戦後、都合の悪い資料を燃やしてしまっていること、
 細菌部隊の資料だってそうだろうけれど、
 その部分はあったにせよ、
 官吏(官僚)って、平安朝の時代から「資料」を残す癖があるからね。
 <今後の対応の参考にするとかさ、細目よ官僚って!!>
 
 今後、あっと言うよな資料は官僚から出て来る可能性は「大」だわよ!!
 アベも、ガースも、自公議員も、びっくりするがイイわっていうようなw

 で、。。。
 昔は、割と公文書の管理はシッカリしているようで、
 凄い資料が出て来たりするようです。

 でもって、
 こういう番組も出来たのだと思います。
 いつかまた、NHKの信頼が戻ればイイなって思うけれど、
 今は、生放送で、テレビを見ることは一切ないですもん。
 あれだけ好きだったNHKの番組も見なくなった、。。。



  当  ブ  ロ  グ  へ  の
  皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! あ り が と う ご ざ い ま す!










  「2・26事件」の一部始終を記した「最高機密文書」が見つかった。
  天皇の知られざる発言や青年将校らの未知の行動など、
  新事実の数々とともに全貌に迫る「完全版」

  文書の保管、
  大事なことですね!

  いつものことで、
  生放送は見てないから反応が遅いのはご容赦を!!







BS1スペシャル「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」part1 20200223





BS1スペシャル「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」part2 20200223





全貌・二・二六事件・完全版



●【BS1スペシャル】「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」 完全版 【2020.02.23】 (資料)
2020年2月23日(日) 午後10時00分(110分)  
BS1スペシャル「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」
私たちが知る歴史は、一断面に過ぎなかった―。NHKは「2・26事件」の一部始終を記した「最高機密文書」を発掘した。1936年2月、重要閣僚らが襲撃された近代日本最大の軍事クーデター。最高機密文書には、天皇の知られざる発言や、青年将校らと鎮圧軍の未知の会談、内戦直前だった陸海軍の動きの詳細など、驚くべき新事実の数々が記されていた。事件後、軍国主義を強め戦争に突入した日本。事件の全貌に迫る「完全版」。

番組スタッフから
国会議事堂、赤坂、六本木、、、首都・東京の中心部を戦車が走り、銃剣をもった兵士が占拠、市民1万5千人が帝国劇場等に緊急避難ーーー小説でも映画でもない、実際に起きた出来事です。1936年2月26日、近代日本最大の軍事クーデターと言われる二・二六事件が勃発しました。
衝撃的な事件ゆえに、関連書籍が多数出版され、映画やドラマも制作されてきましたが、80余年たつ今まで、存在すら知られていなかった資料があることを知ったのが企画のきっかけでした。

これまでは陸軍が事後にまとめた裁判資料が主な公文書とされていましたが、なんと、事件発生から収束まで同時進行で詳細に記録した公文書が見つかりました。公文書を残したのは、日本海軍。事件を起こした陸軍の様子や天皇の状況まで、極秘情報を克明に記していました。それだけではなく、実は海軍自身が事件と深い関わりがあることまでも、極秘文書には記録されていたのですーーー。

5000ページにも及ぶ極秘文書。分析にあたった専門家・研究者たちも「第一級資料」と驚きを隠しませんでした。
読み解いた結果から、これまでどこにも描かれてこなかった事件の4日間と陸海軍の組織の実態が浮かび上がりました。私たちは、それを多くの人に知ってほしいと、明らかになった事実に徹底してこだわり、事実に基づいて映像を再現しました。知られてこなかった二・二六事件の姿が、生々しく蘇ります。

2019年の終戦記念日に放送したNHKスペシャルでは、大きな反響をいただきましたが、今回はその番組にさらに新たな取材を加えた「完全版」として放送します。
新たに加わったのは、事件を目撃した当事者たちの声です。
事件を起こした陸軍・決起部隊の青年将校の遺族。彼らに殺害された重要閣僚の遺族。
その言葉からは、それぞれが背負ってきた歳月の重さが伝わってきます。当事者の多くは100歳前後。残念ながら取材後逝去された方々もおられます。貴重な言葉の数々に、是非耳を傾けていただければと思います。

また40年前に発見された、事件当日に陸軍幹部が傍受していた、決起部隊の電話を録音した音声盤。私たちは最新技術をつかって、その音を再生させました。事件の中心人物でその後処刑された青年将校が、事件最終盤に知人にかけた電話。そこに残されていた肉声は、事件当時に私たちを連れ戻すような力があります。是非お聞きください。

タイムカプセルの中に閉じ込められていたような最高機密文書、そして、今語られる目撃者の言葉。事件は過ぎ去った歴史ではないことを教えてくれました。
事件後、軍部が急激に力を持ち、日本は戦争への道を突き進んでいきました。
事件を他人事としてではなく、私たちの時代にもつながる、忘れてはならない記憶として、ご覧いただければ、制作者一同、これほど有り難いことはありません。
(番組スタッフ)

【朗読】今井朋彦
【語り】守本奈実
番組HP:https://www4.nhk.or.jp/bs1sp/



●全貌 二・二六事件 〜最高機密文書で迫る〜【前編】2020年2月17日
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190829/index_a.html


昭和11年(1936年)2月26日、陸軍の青年将校らが天皇中心の軍事政権をめざし、重要閣僚ら9人を殺害。日本の中枢を4日間にわたり占拠した二・二六事件。今回、事件を克明に記した最高機密文書が発見された。この事件を機に軍部の力が拡大し、日本は太平洋戦争へと突き進んだ。歴史の転換点となったこの4日間に、何があったのか。現代に蘇った最高機密文書で事件の全貌に迫る。

83年の時を経て明らかになった最高機密文書


太平洋戦争に敗れた日本。二・二六事件に関する文書を持っていたのは、終戦時、海軍・軍令部第1部長だった富岡定俊少将だった。富岡は、海軍の最高機密だった文書を密かに保管。これまで、公になることはなかった。

photo (説明図)

戦後、財団法人史料調査会の理事として旧海軍の資料の管理をしていた戸皸貔さんは、この極秘文書を目にするのは、初めてだという。

photo (説明図)

「これは本当にすごいですね。多くの結果を引き出す要素をもった、資料として本当に第一級のものと言っていいです」(戸發気鵝β舅促潺紂璽献▲犂枋后

これまでは、事件後まとめられた、陸軍軍法会議の資料が主な公文書とされてきた。今回発見されたのは、海軍が事件の最中に記録した文書6冊。作成したのは海軍のすべての作戦を統括する「軍令部」だ。

photo (説明図)

今回、NHKは専門家とともにこの極秘文書を詳細に分析。そこから事件の4日間に起きていた新たな事実が浮かび上がってきた。

2月26日午前7時。海軍・軍令部に1本の電話がかかってきた。連絡を最初に受けた軍令部員が、手元にあった青鉛筆で書きつけた第一報には、「警視庁 占領」「内大臣官邸 死」「総理官邸 死」などと記されていた。

夜明け前、陸軍・青年将校が、部隊およそ1500人を率いて決起。重要閣僚らを次々と襲い、クーデターを企てた。

photo (説明図)

「将校の指揮により機関銃を発射しつつ突入し 将校下士官は室内に侵入、拳銃をもって鈴木侍従長を射撃しラッパ吹奏裡に引き上げたり」
「拳銃を乱射、内府を即死せしめ」
「首相は、栗原中尉の手により殺害せられたる模様なり」


後に明らかになる事件の概要を、海軍は発生当初の時点でかなり正確につかんでいた。岡田啓介首相は、間違って義理の弟が殺害された。天皇の側近、齋藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣らは、銃や刀で殺された。警備中の警察官も含め、9人を殺害、負傷者は8人にのぼった。

決起部隊を率いたのは、陸軍の中の派閥「皇道派」を支持していた20代、30代の青年将校たち。政治不信などを理由に、国家改造の必要性を主張。天皇を中心とした軍事政権を樹立するとして、閣僚たちを殺害した。

しかし天皇は、勝手に軍隊を動かし、側近たちを殺害した決起部隊に、厳しい姿勢で臨もうとしていた。

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赤坂と六本木に駐屯していた陸軍の部隊の一部が、国会議事堂や首相官邸など、国の中枢を武装占拠。これに対し陸軍上層部は、急遽設置された戒厳司令部にすべての情報を集め、厳しく統制していた。

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ところが、今回の極秘文書から、当事者である陸軍とは別に、海軍が独自の情報網を築いていたことが分かってきた。海軍は、情報を取るため一般市民に扮した私服姿の要員を現場に送り込み、戒厳司令部にも要員を派遣、陸軍上層部に集まる情報を入手していた。さらに、決起部隊の動きを監視し、分単位で記録、報告していた。

相反する2つの密約

極秘文書には、事件初日にその後の行方を左右するある密約が交わされていたことが記されていた。

事態の収拾にあたる川島義之陸軍大臣に、決起部隊がクーデターの趣旨を訴えたときの記録には、これまで明らかではなかった陸軍大臣の回答が記されていた。

「陸相の態度、軟弱を詰問したるに」
「陸相は威儀を正し、決起の主旨に賛同し昭和維新の断行を約す」


川島は、決起部隊から「軟弱だ」と詰め寄られ、彼らの目的を支持すると、約束していたのだ。

「これは随分重要な発言だと思います。決起直後に大臣が、直接決起部隊の幹部に対して、“昭和維新の断行を約す”と、約束しているんですね。言葉として。これを聞いたら、決起部隊は大臣の承認を得たと思うのは当然ですよね。それ以降の決起部隊の本当の力になってしまった」(戸發気鵝β舅促潺紂璽献▲犂枋后

この直後、川島は、決起部隊が軍事政権のトップに担ごうとしていた皇道派の幹部・真崎甚三郎大将に接触。
「謀議の結果、決起部隊の要求をいれ、軍政府樹立を決意」
極秘文書には、陸軍上層部の中に、クーデターに乗じて軍事政権樹立を画策する動きが記されていた。

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一方、別の場所で、もう一つの密約が交わされていた。

極秘文書に「上」(かみ)と書かれた人物の発言が記されていた。「上」とは、軍を統帥する大元帥、昭和天皇だ。事件発生当初から断固鎮圧を貫いたとされてきた。しかし、極秘文書には事件に直面し、揺れ動く天皇の発言が記されていた。

事件発生直後、天皇は、海軍の軍令部総長である伏見宮に宮中で会っていた。伏見宮は、天皇より26歳年上、長年海軍の中枢に位置し、影響力のある皇族だった。その伏見宮に、天皇は次のように問いかけていた。

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「艦隊の青年士官の合流することなきや」

「海軍の青年将校たちは、陸軍の決起部隊に加わることはないのか?」という天皇の問いに、伏見宮は、こう答えたと記されている。

「殿下より、無き様 言上」

「殿下」こと伏見宮は、「海軍が決起部隊に加わる心配はありません」と語った。

なぜ天皇はこのとき、海軍の行動を心配するような言葉を口にしたのか。当時、まだ34歳だった天皇。軍部の中には、批判的な声もあり、陸軍少佐だった弟の秩父宮などが、代わりに天皇に担がれるという情報まで流れていた。

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「軍隊に人気があるような、秩父宮とか、高松宮の方を軍隊が天皇にしてしまう可能性があるんじゃないかという危機感は常にあったんじゃないかと。(軍部からは)夜にマージャンをしているとか、日常でもゴルフをしていて、いわゆる大元帥としての仕事をちゃんとしていないんだという形で、非常に権威が軽んじられていたと。軍隊の中で(天皇の)威信が確立していない状況が昭和初期と考えていいと思います」(天皇制を研究・名古屋大学大学院 准教授 河西秀哉さん)

事件の対処次第では、天皇としての立場が揺らぎかねない危機的な局面だった。決起部隊に加わることはないと明言した海軍に対し、天皇はたたみかけるように注文をつけていく。

「陸戦隊につき、指揮官は、部下を十分握り得る人物を選任せよ」

陸戦隊とは、艦艇の乗組員を中心に編制される海軍の陸上戦闘部隊。決起部隊に同調する動きが出てこないか、疑心暗鬼になっていた天皇は、陸戦隊の指揮官の人選にまで注文をつけるほど、細かく気をまわしていた。

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「陸軍がどうなるか分からないし、実際、模様眺めの人たちがいっぱいいるわけです。こういう状況の中で事態を打開しようとしたとき、もう一つの武力の柱である海軍に期待するのは、当然、天皇としてはあったと。特に伏見宮は、まさに軍人皇族の代表という位置づけですから、自分のコントロール下に置きたいということはあったと思います。次にどういう手を打つかという点では、昭和天皇は大きな勇気を得たと思います」(昭和天皇を研究・明治大学 教授 山田朗さん)

海軍の表と裏

決起部隊の目的を支持すると約束した陸軍上層部。天皇に「決起部隊に加わらない」と約束した海軍。事件の裏で相反する密約が交わされる中、天皇は鎮圧に一歩踏み出していく。海軍に鎮圧を準備するよう命じる3本の「大海令」を発令。天皇が立て続けに大海令を出すのは極めて異例の事態だった。

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極秘文書には、戦艦を主力とする第一艦隊、そして第二艦隊の動きが詳細に記録されていた。長門など戦艦4隻をはじめ、巡洋艦や駆逐艦、9隻の潜水艦、戦闘機・爆撃機などの飛行機隊。大分の沖合で演習中だった第一艦隊全体が、東京を直ちにめざした。さらに、全国で決起部隊に続く動きが広がることを警戒した海軍は、鹿児島沖で訓練していた第二艦隊を大阪に急行させた。

これまで陸軍の事件として語られてきた二・二六事件。実は、海軍が全面的に関わる市街戦まで想定されていた。

海軍・陸戦隊、第三大隊に所属していた中林秀一郎さん(99歳)。当時、16歳で海軍に入ったばかりだった。出動したときのことを鮮明に覚えているという。

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「初めて実弾を300発渡されて。一番海軍に入って嫌な気持ちがしましたね。まかり間違えば陸軍と、東京で市街戦になる。そんなばかなことはねえと」(中林さん)

一方、この時、陸軍の不穏な動きはさらに広がりを見せていた。海軍が注目したのは、東京を拠点とする陸軍の第一師団。決起部隊の大半が、この師団の所属だった。第一師団の参謀長がもらした言葉を、海軍は記録していた。

「決起部隊もまた日本人、天皇陛下の赤子なり」
「彼らの言い分にも理あり」
「決起部隊を暴徒としては、取り扱いおらず」


クーデターに理解を示すかのような陸軍幹部の発言に、海軍は強い危機感を抱く。もし陸軍・第一師団が決起部隊に合流したらどうなるのか。海軍は、陸軍と全面対決になることを警戒していた。

2月27日午後2時。軍令部の電話が鳴った。電話の相手は、クーデターを企てた決起部隊だった。決起部隊は、なぜ海軍に接触してきたのか。実は、海軍の内部にも、決起部隊の考えに同調する人物がいた。

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小笠原長生、元海軍中将。小笠原は天皇を中心とする国家を確立すべきだと常々主張し、皇室とも近い関係にあった。事件発生直後、小笠原は、軍令部総長・伏見宮を訪ね、決起部隊の主張を実現するよう進言していた。

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「海軍は支持してくれる。部隊ごとに協力してくれるという錯覚を反乱側は持っていたのではないかと思います。(決起部隊は)ゆくゆくは天皇が自分たちの味方をしてくれたらそれで決まるわけですが、天皇が味方になってくれるという裏には、小笠原の存在は私は多分幾分かあったと思います」(軍事史を研究・防衛大学校 名誉教授 田中宏巳さん)

そして、海軍にまで接触を試みてきた決起部隊は、“ものの分かる”海軍将校に決起部隊の拠点に一人で来るよう求めた。派遣されたのは海軍・軍令部の中堅幹部・岡田為次中佐。岡田がそこで語った言葉が極秘文書に記録されていた。

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「君たちは初志の大部分を貫徹したるをもって、この辺にて打ち切られては如何」

岡田中佐は、決起の趣旨を否定せず、相手の出方を見極めようとしていた。このときすでに天皇の命令を受け、鎮圧の準備を進めていた海軍。その事実を伏せたまま、このあとも決起部隊から情報を集めていく。天皇の鎮圧方針に従う裏で、海軍は、決起部隊ともつながっていた。

一方、この日、陸軍上層部も新たな動きを見せる。天皇が、事態の収束が進まないことにいら立ち、陸軍に鎮圧を急ぐよう求めていたのだ。

午後9時、戒厳司令部に派遣されていた海軍・軍令部員から重要な情報が飛び込んできた。

決起部隊が、クーデター後、トップに担ごうとしていた陸軍・真崎甚三郎大将。真崎が、満州事変を首謀した石原莞爾大佐と会い、極秘工作に乗り出したという情報だった。

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2人が話し合ったのは、青年将校らの親友を送り込み、決起部隊を説得させるという計画だった。戒厳司令部は、この説得工作によって事態は収束するという楽観的な見通しをもっていた。そして、万一説得に従わない場合は、容赦なく切り捨てることを内々に決めていたことも明らかになった。

「要求に一致せざる時は、一斉に攻撃を開始す」
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●全貌 二・二六事件 〜最高機密文書で迫る〜【後編】2020年2月17日
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190829/index_b.html


近代日本最大の軍事クーデター「二・二六事件」。今回、見つかった「極秘文書」によって、青年将校たちの反乱と、その鎮圧にいたる「4日間」の詳細が明らかとなった。首都東京を大混乱に陥れ、国家の運命を分ける転換点となった歴史的事件の全貌に迫る。

奉勅命令で事態は緊迫 追い込まれる決起部隊


事件発生から3日目の2月28日午前5時。天皇が出した、ある命令をめぐり、事態が大きく動く。

決起部隊の行動を「天皇の意思に背いている」と断定し、直ちに元の部隊に戻らせるよう命じる奉勅命令が出されたのだ。事件発生当初は不安を抱く言葉を発していた天皇。奉勅命令によって、自らの意思を強く示した。

天皇が奉勅命令を出し、自分たちを反乱軍と位置づけたことを知った決起部隊は、天皇が自分たちの行動を認めていないこと、そして、陸軍上層部はもはや味方ではないことを確信した。

奉勅命令をきっかけに、事態は一気に緊迫していく。同じ頃、決起部隊と面会を続けていた海軍・軍令部の岡田為次中佐は、交渉が決裂したと報告する。

「交渉の結果は、決起部隊の主旨と合致することを得ず 決起部隊首脳部より『海軍をわれらの敵と見なす』との意見」
「海軍当局としては直ちに芝浦に待機中の約三ヶ大隊を海軍省の警備につかしめたり」

天皇に背いたと見なされ、陸軍上層部からも見放された決起部隊。期待を寄せていた海軍とも交渉が決裂し、絶望的な状況へと追い込まれていく。鎮圧に傾く陸軍と海軍。決起部隊との戦いが現実のものとなろうとしていた。

攻撃準備を進める陸軍に、決起部隊から思いがけない連絡が入る。

「本日午後九時頃 決起部隊の磯部主計より面会したき申込あり」
「近衛四連隊山下大尉 以前より面識あり」

決起部隊の首謀者のひとり、磯部浅一が、陸軍・近衛師団の山下誠一大尉との面会を求めてきたのだ。

磯部の2期先輩で、親しい間柄だった山下。山下が所属する近衛師団は、天皇を警護する陸軍の部隊だった。追い詰められた決起部隊の磯部は、天皇の本心を知りたいと、山下に手がかりを求めてきたのだ。

磯部「何故に貴官の軍隊は出動したのか」
山下「命令により出動した」
山下「貴官に攻撃命令が下りた時はどうするのか」
磯部「空中に向けて射撃するつもりだ」
山下「我々が攻撃した場合は貴官はどうするのか」
磯部「断じて反撃する決心だ」


天皇を守る近衛師団に銃口を向けることはできないと答えた磯部。しかし、磯部は、鎮圧するというなら反撃せざるを得ないと考えていた。

山下は説得を続けるものの、2人の溝は次第に深まっていく。

山下「我々からの撤退命令に対し、何故このような状態を続けているのか」
磯部「本計画は、十年来熟考してきたもので、なんと言われようとも、昭和維新を確立するまでは断じて撤退せず」


もはやこれまでと悟った山下。ともに天皇を重んじていた2人が、再び会うことはなかった。

最後の賭けに出る決起部隊

事件発生4日目の2月29日。決起部隊が皇族に接触しようとしているという情報が前夜から飛び交い、鎮圧側は大混乱に陥っていた。鎮圧部隊は、皇族の邸宅周辺に鉄条網を設置。戦車も配備して警備を強化した。

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午前6時10分。決起部隊が現れたのは、天皇を直接補佐する陸軍参謀総長、皇族・閑院宮の邸宅前だった。

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「閑院宮西正門前に決起部隊十七名、軽機関銃二挺を、西方に向けおれり」

氷点下まで冷え込む中、決起部隊は閑院宮を待ち続けていた。閑院宮を通じ、天皇に決起の思いを伝えることにいちるの望みを託していたのだ。しかし、閑院宮は現れなかった。

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「(閑院宮は)へたに出ると、宮様なんとかしてくださいとなってくるので、そうならないように、(決起部隊を)避けたということはあると思います。(決起部隊は)昭和天皇に決起した本当の意図を理解してもらいたいと、それを伝えるために、天皇に近い皇族に接触しようとしたと。直接伝えなきゃという意識は、追い込まれていったときにあったのではないか」(二・二六事件を研究・神戸大学 研究員 林美和さん)

この日の早朝。陸軍上層部は、ついに鎮圧の動きを本格化させる。戒厳司令部は周辺住民に避難を指示。住民1万5000人は着の身着のまま、避難所に急いだ。

一触即発となった鎮圧部隊と決起部隊。東京が戦場になろうとしていた。

決起部隊の兵士だった志水慶朗さん(103歳)、当時19歳。兵士の多くは、事前に詳細を知らされないまま、上官の命令に従っていたという。国会議事堂に迫りくる戦車の音を聞いた志水さん。自分たちが鎮圧の対象になっていることを知った。

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「どうして撃ち合わなければいけないんだろうって、同じ兵隊同士、日本の兵隊同士がね。そういう疑心暗鬼と言いますかね。そういうような気持ちは感じましたね」(志水さん)

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陸軍・鎮圧部隊の兵士だった矢田保久さん(103歳)、当時20歳。最前線での任務を命じられていた。

「緊張しちゃっているから何が起きてくるか分かんない。一発撃ったら絶対止まらないよ。海軍や何もかも全部来ているんだし、想像がつかないでしょう」

海軍・陸戦隊は攻撃準備を完了し、第一艦隊は、東京・芝浦沖に集結していた。もし決起部隊との戦闘が始まれば、海軍・軍令部は状況次第で、ある作戦の実行も想定していた。

「艦隊から国会議事堂を砲撃」

当時、対処にあたっていた軍令部員の名前が極秘文書に残っている。矢牧章中佐。艦隊が攻撃することになった場合の重大さを、戦後、証言していた。

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「あそこ(芝浦沖)からね、国会議事堂まで、要するに4万メートルくらい飛ぶんだから、大砲の大きい奴が。陸軍(決起部隊)がもし考え違いして、やろうじゃないかと。一発やろうじゃないかと、海軍と。どんどん撃ったら、あそこの千代田区が無くなってしまいます」(矢牧さんの証言より)

天皇は、時々刻々と入る情報を聞き取り続けていた。事件発生から4日間、鎮圧方針を示してきた天皇。最終盤、陸海軍の大元帥としての存在感が高まっていた。

午前8時10分。ついに、陸軍・鎮圧部隊による攻撃開始時刻が8時30分と決定。

いつ攻撃がはじまるとも分からない中、海軍は、最前線で様子を探り続けていた。その時、追い詰められた決起部隊の変化に気づく。

「一〇時五分頃」
「陸軍省入口において決起部隊の約一ヶ小隊 重機関銃二門 弾丸を抜き整列せり」
「三十名、降伏せり」
「一一時四五分」「首相官邸の“尊皇義軍”の旗を降ろせり」
「一二時二〇分」「首相官邸内に、万歳の声聞こゆ」


海軍は、最後まで抵抗を続けていた安藤輝三の部隊に注目していた。極秘文書には、追い詰められた指揮官・安藤の一挙手一投足が記録されていた。

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「安藤大尉は部下に対し、『君たちはどうか部隊に復帰してほしい。最後に懐かしいわが六中隊の歌を合唱しよう』と、自らピストルでコンダクトしつつ中隊歌を合唱。雪降る中に、第一節を歌い終わり、第二節に移ろうとする刹那、大尉は指揮棒がわりのピストルを首に。合唱隊の円陣の中に倒れた」

午後2時25分、戒厳司令官から軍令部総長に連絡が入った。午後1時、事件は平定したという。

二・二六事件から戦争への道

日本を揺るがした、戦慄の4日間。

陸軍上層部は、天皇と決起部隊の間で迷走を続けた。それにもかかわらず、事件の責任は、決起部隊の青年将校や、それにつながる思想家らにあると断定。弁護人なし、非公開、一審のみの「暗黒裁判」とも呼ばれた軍法会議にかけた。

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事件の実態を明らかにしないまま、首謀者とされた19人を処刑し、陸軍は組織の不安は取り除かれたと強調した。一方で、事件への恐怖心を利用し、政治への関与を強めていった。

「現に目の前で何人も銃で殺されたり、斬り殺されたりという事件を見て、政治家も財界人も、もう陸軍の言うことに対して、本格的に抵抗する気力を失っていくんですね。これが二・二六事件の一番、その後に対する影響力の最たるものですね」(戸發気鵝β舅促潺紂璽献▲犂枋后

34歳で、事件に直面した天皇。軍部に軽視されることもあった中、陸海軍を動かし、自らの立場を守り通した。クーデター鎮圧の成功は、結果的に、天皇の権威を高めることにつながった。

「二・二六事件を経て、軍事君主としての天皇の役割はすごく強くなってしまって。天皇の権威、神格化といってもいいですが、そういうものが二・二六事件で大いに進んだことは間違いないと思います」(山田さん・明治大学 教授)

事件後、日本は戦争への道を突き進んでいく。高まった天皇の権威を、軍部は最大限利用して、天皇を頂点とする軍国主義を推し進める。そして軍部は、国民に対して命を捧げるよう求めていく。

日本は太平洋戦争に突入。天皇の名の下、日本人だけで310万人の命が奪われ、壊滅的な敗戦に至った。二・二六事件からわずか9年後のことだった。

戦後、天皇は忘れられない出来事を2つ挙げている。終戦の時の、自らの決断。そして、二・二六事件。

「戦後天皇がもしこの事件に非常に思いをもっているとすれば、これは後の戦争に突き進んでいくような一つの契機になった事件、実は自分が起こした強い行動っていうのは、戦争に進んでしまった要因の一つではないかと、戦後いろいろな思いをもった可能性も考えられる」(河西さん・名古屋大学大学院 准教授)

晩年、天皇は、2月26日を「慎みの日」とし、静かに過ごしたという。

二・二六事件を記録し続けた海軍は、その事実を一切公にすることはなかった。なぜ事実を明らかにしなかったのか。極秘文書6冊のうち、事件後、重要な情報をまとめたと思われる簿冊がある。そこには海軍が、事件前につかんだ情報が書かれていた。その内容は、詳細を極めていた。

事件発生の7日前。東京憲兵隊長が海軍大臣直属の次官に、機密情報をもたらしていた。

「陸軍・皇道派将校らは、重臣の暗殺を決行
 この機に乗じて、国家改造を断行せんと計画」

襲撃される重臣の名前が明記され、続くページには、首謀者の名前が書かれていた。事件の一週間も前に、犯人の実名までも、海軍は把握していたのだ。

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海軍は、二・二六事件の計画を事前に知っていた。しかし、その事実は闇に葬られていた。なぜ事件は止められなかったのか、その真相は分からない。ただ、その後起きてしまった事件を海軍は記録し続けた。そこには、事件の詳細な経緯だけでなく、陸軍と海軍の闇も残されていた。

昭和維新の断行を約束しながら青年将校らに責任を押し付けて生き残った陸軍。事件の裏側を知り、決起部隊ともつながりながら、事件とのかかわりを表にすることはなかった海軍。

極秘文書から浮かび上がったのは二・二六事件の全貌。そして、不都合な事実を隠し、自らを守ろうとした組織の姿だった。

「本当のことを明らかにするのは、ものすごく難しいことで。如何に事実を知るということが難しいかということですよね。たまたま私どもは、何十年ぶりかに現れた資料によって、今まで知られなかったことがわかるわけですが、こんなことは類いまれなことで、わからないまま生きているんだと」(田中宏巳さん・防衛大学校名誉教授 極秘文書を発見した研究者)

事実とは何か。私たちは、事実を知らないまま、再び誤った道へと歩んではいないか。83年の時を超えて、蘇った最高機密文書。向き合うべき事実から目をそむけ戦争への道を歩んでいった日本の姿を今、私たちに伝えている。






【NHKスペシャル】全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜



●【NHKスペシャル】全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜
【初回放送】2019年8月15日(木)午後7時30分〜8時43分 (資料)

私たちが知っていたのは、“真相”の一断面に過ぎなかった―。
今回NHKは、あの歴史的事件の一部始終を記録した「極秘文書」を発掘した。1936年2月26日、首都・東京の中枢で首相や大臣が襲撃された、近代日本最大の軍事クーデター「二・二六事件」。これまで、事件に関する主な公的記録は、完全非公開で“暗黒裁判”と言われた陸軍の軍事裁判資料とされ、事件をリアルタイムで記録した1次資料はなく、多くが謎とされてきた。事件から83年がたった今、見つかった「極秘文書」によって、青年将校たちの反乱と、その鎮圧にいたる「4日間」の詳細が明らかとなったのだ。
文書を密かに記録していたのは海軍。事件発生直後から現場に解き放った「調査部隊」や、密かに設置された「見張所」からまさに分単位で緊迫の状況を記録していた。陸軍の幹部が事件の裏で行っていた知られざる会談や、海軍が、反乱を超えた大規模な内戦まで想定して備えていたことなど、文書に残されていた「新事実」の数々に、解析に当たった専門家も息を呑んだ。  

二・二六事件後、軍国主義を強め戦争に突入していった日本。首都東京を大混乱に陥れ、国家の運命を分ける転換点となった歴史的事件の全容に迫る。

【朗読】今井朋彦
【語り】守本奈実
番組HP:https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190815





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