s-20200427会議中です









  流行状況ステージ
  1) 感染散発 2) 感染漸増 3) 感染急増 4) 感染爆発

  判断の指標
  ・確保想定病床利用率
  ・10万人当たり療養者数
  ・陽性率
  ・10万人当たり1週間の感染者数
  ・10万人当たり1週間の前週比 
  ・感染経路不明者の割合


  なんかもう辟易として来て、。。。
  こんな奴らの言うことなんか何一つ当てにならないって思っちゃって。
  書く気力も失せた、。。。

  政権交代出来ないものかな?
  活きの良い議員が出て来てくらないものかな?
  最近は、そればかり願ってる。
  
  自公・維新議員は、
  アベ政権のままでいいと思ってるのかな?
  思ってるとしたら、
  人間の面被った鬼ばかりだなっておもってさ。
  人としての情がなさすぎるやろ、。。。












  当  ブ  ロ  グ  へ  の
  皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! あ り が と う ご ざ い ま す!












●NHKスペシャル「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」 20200806
2020年8月6日(木) 午後10:00〜午後11:00(60分)
戦後75年にあたる今年、私たちは、アメリカの原爆の開発計画の現場責任者の手記を発見。さらに、原爆を投下した爆撃機のパイロットや、当時の日本の指導者へのインタビューも入手した。そこからはアメリカが自らの「正義」のために、投下を決定した過程や、日本が降伏を決断できないまま、あの日を迎えてしまった経緯が浮かび上がってきた。これらの資料に、NHKが取材した膨大なアーカイブスを加え原爆投下の全体像に迫った。

オープニング
オープニング映像と番組内容などが流れた。

(NHKスペシャル)
”我は世界の破壊者なり”

原爆投下21日前の原子爆弾に起爆装置を取り付け人類初の核実験に臨もうとしている映像が流れた。現場で原子爆弾の組み立てと爆破に立ちあったトーマス・ファレル准将は原爆開発計画責任者の側近で実質ナンバー2だった。今回見つかった手記には原爆の公式の報告書では公にされなかった現場の内実や心情が綴られていた。人類初の核実験に立ちあい後に原爆の父と呼ばれるオッペンハイマー博士が原爆はそれまでとはまったく次元の違う兵器であると語った音声が残されていた。ファレル准将は真珠湾攻撃に始まり太平洋で多くの兵士を失っていたアメリカ軍はこれ以上犠牲を出さないために投下は必要だと記していた。

原爆開発の動き ”知っていた”日本
アメリカの原爆開発を日本はどこまで知っていたのか。イギリスの放送局が50年前に撮影した昭和天皇の側近、官僚トップ、外交官へのインタビューを入手した。当時の鈴木内閣で内閣書記官長を務めていた迫水久常は日本の指導者たちの一部はアメリカの原爆開発を把握していたもののその見通しは楽観的だったと語っている。天皇の側近で内大臣だった木戸幸一は官僚たちは終戦の道を模索していたが軍部は徹底抗戦を唱えていたと語っている。

核で優位に立つアメリカ
日本が終戦を決断できずにいる間に核実験を成功させたアメリカ。見つかったファレル准将の手記には大統領にすぐに報告したことが記されていた。核実験に成功した次の日にドイツ・ポツダムではイギリスのチャーチル首相、アメリカのトルーマン大統領、ソビエトのスターリン書記長が日本の降伏条件について会談を開いていた。それまで日本を降伏させるためスターリンから参戦確約を取り付けたいと考えていたトルーマンは原爆を手にしたことで必ずしもソビエトの力を必要としなくなった。原爆投下の11日前、アメリカは日本に無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表したがその前日にすでに原爆投下の指令書を発令していた。アメリカは原爆を外交の駆け引きに使いながら投下へと邁進していた。

日本の”誤算”
危機が迫っていることを知らなかった日本の指導者たち。ポツダム宣言を受諾するか戦い抜くか議論を続けていた。外務大臣秘書官の加瀬俊一は受諾する以外終戦の道はないと考えていたという。しかし軍部を中心に反対意見が出た。そんな中日本が望みをかけていたのがソビエト。日ソ中立条約を結んでいたそのそのソビエトの仲介で終戦の交渉を行おうとした。しかしすでにソビエトは日本に対して参戦することを決めていた。ポツダム宣言に回答しない態度は対外的に黙殺と取られた。

”死の谷を歩む” エノラ・ゲイ
原爆投下5日前、509混成群団が原爆投下のテストを繰り返していた。投下目標とされた都市について爆撃機の機長であるポール・ティベッツ大佐の証言が残されていた。当時広島には35万人が暮らしていた。しかしアメリカ軍の報告書では軍事都市と強調されていた。アメリカ軍は投下目標を広島市中心部にある相生橋に定めた。8月6日午前2時45分にエノラ・ゲイは出発し午前8時15分に原爆が投下された。

きのこ雲の下の地獄
被爆者たちの証言映像が流れた。映像が限られる中で生き延びた被爆者は惨禍の記憶を絵に描いた。

”避けられなかった”2発目
原爆投下から約6時間後、テニアン島にエノラ・ゲイが戻ってきた。35万都市を一瞬にして壊滅させた原爆。ファレル准将はその軍事的成果に興奮を隠せなかった。トルーマン大統領は世界に向けて発表を行った。一方で日本は思考停止状態に陥り陸軍関係者は落とされたのが原爆であることを信じようとしなかったという。軍が派遣した仁科芳雄博士は1943年から日本の原爆開発を主導してきた人物。仁科博士は原爆投下の2日後に広島を現地調査した。広島に原爆を落とされてもなお降伏に向けた動きを見せない日本。ファレル准将たちは2発目の準備に取り掛かった。ファレル准将の手記には捕虜となった日本兵の言葉を借りて降伏しない日本への苛立ちが記されていた。さらなる投下が必要だったのかについて原爆開発計画の責任者は計画を止めることは難しかったと語っている。そして8月9日、2発目の原爆を乗せたボックスカーが出撃し午前11時2分に長崎に原爆が投下された。

繰り返された地獄
長崎の惨状をとらえた写真とともに被爆者の証言映像や音声が流れた。

遅すぎた日本の決断
長崎県に原爆が投下された日にソビエトが参戦し日本は混乱の極みにあった。そしてようやく日本は無条件降伏への道を歩み始めた。8月10日午前2時に皇居・御文庫附属室で天皇のもと御前会議が開かれ日本は降伏を決断した。実はこのときに3発目の原爆が用意されていたと複数の関係者が証言している。

原爆落とした者 落とされた者
8月15日、日本は無条件降伏を受け入れた。しかし被爆者にとって戦争は終わっていなかった。終戦からおよそ1ヶ月後にアメリカ軍が被害の実態を調査するため広島・長崎を訪れ原爆投下の作戦を指揮したファレル准将は自らの行為の結果を初めて突きつけられた。被爆地を訪れた兵士の中には原爆投下の正当性に疑問を感じた者もいた。そして日本を占領した連合国軍は新聞及びラジオに検閲を行うことを発表し原爆の被害を覆い隠していった。被爆の実態が伝えられるようになったのは終戦から7年後だった。指導者たちの行動と決断の果てに多くの尊い命が奪われた。

エンディング
エンディング映像が流れた。
























上・報道特集「金平茂紀 政府や一部の知事の言葉は届いているのか?」 20200808
中・報道特集「時短営業要請相次ぐ中、事業者への補償は?持続化給付金審査の実態」20200808
下・報道特集「コロナ禍の芸術家達、イベント再開への思い」 20200808
---------------------------------------------------------------------
【報道特集】
▽時短営業要請相次ぐ中、事業者への補償は?持続化給付金審査の実態
「持続化給付金審査の実態は?」 全国の自治体から営業短縮要請が相次ぐ中、
事業者への補償をどうするかという問題が浮上している。
5月から始まった持続化給付金も批判を受け委託先が変更に。
その審査の実態を取材。
▽コロナ禍の芸術家達、イベント再開への思い
「コロナ禍の芸術家達は今」
イベント・コンサートを開催できずにいる芸術家達の再開にかける取り組み、思いを取材。
楽器の飛沫の飛び方を科学的に検証。
2020年8月8日(土) 17:30〜18:50 TBS

【レギュラー出演】 金平茂紀 , 日下部正樹 , 膳場貴子 , 宇内梨沙
【声の出演】 屋良有作 , 小山茉美
【その他】 コスタ・エステバン , 高橋裕里香 , 金野祥吾 , チョ・ヨンヒョン ,
カン・ソク , ジョン・ヘユン , 大野和士 , 奥田知明 , 国塩哲紀 , 木内大介 , 佐藤嘉則 ,
堀江ハルキ , 山下章子
*制作プロデューサー 田中宏之
*番組プロデューサー 吉岡弘行
*編集長 吉田豊
◇番組HP http://www.tbs.co.jp/houtoku/
◇twitter @tbs_houtoku http://twitter.com/tbs_houtoku
◇facebook http://www.facebook.com/tbs.houtoku



 最後まで読んでいただきありがとうございました! ポチッ! ヨロシク~♪