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私は怒っている。
いつもいつも団子理屈を述べるクソジジイと、
如何に仕事とは言いながら加担する加害者側弁護士。
そら、受けた以上依頼人のためにってことだと思うけれど、
「無罪」を主張するのは無理があり過ぎます。
そうよね、
加害者側弁護士の皆さん、
「無罪」の主張をするクソジジイを諭されたことがあるのでしょうか?
被害者側に立つということも大事じゃないかなって加害者側弁護士に思う。
人として、私はそう思います。
ま、。。。
検察が「執行猶予のつかない」
「危険運転致死傷罪」なら負傷で15年以下の懲役、
致死で1年以上の有期懲役で裁判員裁判の対象になる。
「過失運転致死傷罪」は最高7年の懲役・禁固なんだけど。
法定刑の上限にあたる求刑って凄いよね。
飯塚幸三被告に禁錮7年を求刑 池袋暴走事故で検察側
❖この案件では最高刑が出されたということだけど、
なんか納得できない部分はあるけれど、。。。
(赤の他人が言うことでないんでしょうが、でも、。。。)

この事故、
心底怖かったですよ。
食事に行く時間が差し迫っていたからスピードを出していた。
こんな理由で殺されたらたまらんですよね。
だから、。。。
加害者になるのは怖いから、
免許返納は戸惑わずに決断しましたよ。
それでね、
都ファの馬鹿議員が無免許運転していたと、
その理由に唖然としてね。
タヌキは、こんな議員を議員辞職させる責任があるはずです。
(おまえ、総理にナンかなれないから!なっちゃいけない人だからね!)

運転免許をお持ちの皆さんには、
こころして運転して頂きたいと思います。
そう思います。
前振りではなく本論でした!
















  当  ブ  ロ  グ  へ  の
  皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! ち ょ び っ と 一 服 !






●2021年7月15日 18時12分
【詳報】池袋暴走事故 飯塚被告「踏み間違えた記憶は全くございません」無罪主張 検察は禁錮7年求刑
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868

飯塚幸三被告


 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女莉子(りこ)ちゃん=当時(3)=が死亡した事故の刑事裁判は15日、東京地裁で検察側の求刑や弁護側の最終弁論があった。自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた飯塚幸三被告(90)は「車のシステムに何らかの異常が発生した」と無罪を主張しているが、検察側はどんな求刑を行い、飯塚被告は最後に何を語ったのか。裁判の様子を速報する。

池袋乗用車暴走事故 起訴状などによると、飯塚幸三被告は2019年4月19日正午すぎ、東京都豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3つ)=をはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。

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◆13:25 飯塚被告、入廷し一礼
 飯塚幸三被告は車いすで入廷し、裁判官に向かって頭を下げた。検察側の席に座った遺族の松永拓也さん(34)は目を伏せ、その後、しばらく目を閉じた。飯塚被告の入廷が終わると、裁判長の判断で予定より数分早く開廷した。

◆13:30 真菜さんの父上原さん「どれほど大きな存在だったか」
 遺族らの心情の意見陳述が始まった。最初に松永真菜さんの父で沖縄県在住の上原義教さん(63)が証言台に立ち、事前に用意した紙を手に「私は松永真菜の父です」と読み始めた。声は少し震える場面もあったが、静かな口調で読み進めた。
 上原さんは「大事な2人をまさか事故で失うなんて」と述べ、「どれほど大きな存在だったか述べたい」と真菜さん、莉子ちゃんの生前の様子を語り始めた。

紅葉狩りを楽しむ松永さん家族(松永拓也さん提供)

 真菜さんは5人姉弟の三女で、上原さん夫妻と7人家族。恥ずかしがり屋で、初対面の人の前では母親の後ろに隠れてしまったという。10代のころから家庭のことを手伝い、年下の四女や長男の面倒をよくみていて「家族思いの子でした」。家計を考えてか、専門学校を卒業後に歯科衛生士として勤務。「控えめで、人を悪く言うことはなく、友だちが多かった」という。上原さんは「私は真菜を悪く言う人をみたことはありません」と語った。

◆かき氷、楽しみにしてたのに…
 真菜さんが21歳だった2009年5月、25歳だった上原さんの次女が白血病で亡くなり、上原さんは「想像を絶するつらさ」を味わった。その後、真菜さんの結婚については「そばにいてほしかった。本土は遠いというイメージでした」として当初は反対する気持ちだったことも明かした。しかし、松永拓也さんと会い「優しい人だとよく分かりました」と賛成したという。
 莉子ちゃんの誕生後、上原さんの妻が、くも膜下出血で急に亡くなった。上原さんを心配した真菜さんはスマートフォンを上原さんに渡した。上原さんは「おかげで毎日のように莉子とテレビ電話をし、成長を見ることができました。莉子は私にもよく懐いてくれ、『じいじ』と呼んでくれました」と振り返った。事故直前、真菜さんには家族で沖縄に移住する計画があり、パティシエをしている上原さんの四女とカフェを営むことを夢見ていたという。
 最後に2人と話したのは、事故の数日前。テレビ電話でだった。5月に実家の沖縄に2人で来る予定で、莉子ちゃんは、セパレート式の水着を画面越しに見せてくれた。「かき氷を食べたい。かき氷器ある?」と尋ねられた上原さんは、しばらく使ってなかったかき氷器を引っ張りだし、莉子ちゃんに見せた。
 「とても楽しみにしていました。話をしたのはそれが最後になりました」

◆私自身がおかしくなったようで
 事故当日、松永さんから午後4時ごろに電話を受け、すぐに上京の準備をした。その最中に亡くなったことが再び電話で伝えられた。「直接確認するまでとても信じられない」。その日のうちに東京に行ったが、2人に会えたのは翌日だった。「遺体を見られませんでした。私自身がおかしくなったようで、夢を見ているような感覚になりました」
 松永さんと2人で泣きながら「痛かったね」「ごめんね、じいじが代わってあげられなくて」と語りかけながら一夜を明かしたという。
 上原さんは事故後、東京での署名活動のために上京した。まだ、気持ちの整理がついていなかったが、「ちょっとでも手伝えたら」と思い、参加した。東京は怖い場所だと思っていたが、多くの人が署名し、2人のことで泣いたり、語り合っている姿をみて、「こんなにも思っている人がいて、真菜もそんなに悪いところに住んでいたわけじゃないんだ」と思えたという。
 その後、地元の沖縄でも署名活動を行った。飯塚被告はうつむいたまま聞いていた。

◆「いったい誰が裁かれているのか」
 裁判が始まり、上原さんは裁判のたびに上京した。でも気持ちは晴れない。「誰が悪いのか分かっているのに。加害者に寄り添って見えました」と当時の心境を打ち明け、「いったい誰が裁かれているのか。私たちが裁かれているような気がしました」と振り返った。
 上原さんは自動車整備士をしていたことがあるといい、「車のことがわかるだけにより腹立たしい」と思った。被告人質問の後に、飯塚被告に対して「あの人に何も言ってもだめなのか」「私たちのことをこれっぽっちも考えてくれない。車のせいにしている」と感じた。
 「事故後、真菜の顔の傷をみて、本当に苦しかったです。あんな2人を見たのに、まだ信じられません。また戻ってきそうな気がしてならない」と涙ぐんだ。
 「毎日のように電話していたのに、突然亡くなったことを今でも受け入れることができません。玄関を開けると、真菜の声が聞こえてきたような気がすることがあります。神様がいるなら、こんなことがあるのでしょうか。真菜と莉子を返してほしい」。娘たちとカフェを開く人生計画は白紙になり、「遺族としても夢を奪われた」と訴えた。

◆「あなたも人の子なら…」
 上原さんは「飯塚さん、あなたも人の子なら車のせいにせず、罪に向き合っていただきたい」と望んだ。「刑務所に入ってほしいです。反省するために。真菜と莉子は帰ってきません。せめて反省していただきたい」述べ、終えた。
 飯塚被告はうつむいたまま。上原さんは席に戻ると、ハンカチを顔に当て、涙をぬぐった。

◆14:00 真菜さんの姉「外出先で涙があふれ…」
 上原義教さんの長女(真菜さんの一番上の姉)の意見陳述を弁護士が代読した。
 ニュースで「2人が亡くなった」と聞いた。嘘であってほしいという気持ちでした。加害者への怒りが込み上げました。防ごうと思えば防げたのではないか。鉄の塊を運転するのだから、安全に運転する意識がないと事故を起こしてしまいます。絶対に許せない。
 事故からしばらく、心が壊れそうでした。私も子育てをしているので、一日中事故のことを考えるわけではありませんが、2人のことが思い出されて外出先で涙があふれることもありました。「なぜ真菜と莉子が亡くなったのか」とか「ひかれた衝撃はすごかっただろう」とか。真菜と画面越しにランチができなくなってさみしいです。

夏祭りを楽しむ松永真菜さんと莉子ちゃん(松永拓也さん提供)

 父はもともと腎臓を悪くしていて、母が料理に気を使っていました。母が亡くなってから真菜がその役目を担っていました。父は事故の後、感情の浮き沈みが激しくなりました。(真菜さんの夫の)拓也君は私の想像を絶する絶望感を味わっただろうと思います。命を絶たないか心配していました。大切な二人を失っても生きなければならないことは、生き地獄だったことでしょう。裁判が終わって少し落ち着いたときに再び悲しみが襲ってくるのではないかと心配です。

◆事故に心から向き合って
 加害者にも家族がいると思います。事故によって2人の命以外にも、多くの人が人生を狂わされたことを分かっているのでしょうか。父も言ったように人間は誰でも過ちを犯します。月命日は手を合わせているというのも形だけという感覚でしょう。何を言っても加害者の心には届かないと思います。刑務所に入らないと気付かないでしょう。高齢だから収監しないということになれば、心を突き刺されたような感じです。加害者には事故に心から向き合ってほしい。刑務所には行って罪を償ってほしい。
 飯塚被告は、長女の意見陳述をうつむいたまま聞いていた。

◆14:10 真菜さんの妹の意見陳述
 上原さんの四女(真菜さんの妹)の意見陳述を弁護士が代読した。
 真菜は優しい性格で、私のわがままを聞いてくれました。真菜が事故に遭った当時は妊娠9カ月でした。生んでからの方が辛かったです。夢で真菜が出てきていつもハグしてくれます。夢から覚めると私はいつも泣いています。ママになってから真菜と話がしたかったです。
 
 父は事故の後、話さなくなりました。何を考えているのか分からなくなりました。母は、くも膜下出血という病気で亡くなりましたが、真菜と莉子は犯罪で亡くなりました。「なぜ世界で2人が選ばれたのか」と考えます。報道でタク(夫の松永拓也さん)を見て「そんなに頑張らなくてもいい」と思います。以前はもっとリラックスした笑顔を見せていました。父は眠れないようです。東京から帰った父に裁判のことを聞くと「あの態度はひどい」としか言いません。

◆14:20 真菜さんの弟「まなねえ、一番頼りに」 
 真菜さんの弟に当たる上原家の長男が証言台に立った。真菜さんを「まなねえ」と呼び、「一番頼りにしていました」として、進路相談をしたことなどを語った。
 家族の中で「一番おしゃれ」だったといい、外出時の服装をチェックしてもらうと、ダメだしされることはなく、いつも「いいんじゃない」と自信をつけさせてくれたという。
 莉子ちゃんは「なかなか懐いてくれなかった」と振り返ったが、長男のギターに合わせて宇多田ヒカルさんの「ぼくはくま」やディズニーの「リメンバー・ミー」を歌ってくれたエピソードを披露。事故の数カ月前に、莉子ちゃんが1人で長男の部屋に来てくれるようになっていたという。
 飯塚被告に対する思いは多くを語らなかったが、「事故の後、人の運転が気になるようになりました」とし、運転免許の更新制度の改善を訴えた。

◆14:25 松永拓也さんの母「無念伝えたくて」
 松永拓也さんの母が「真菜ちゃんと莉子の無念を伝えたくて」と証言台に立った。拓也さんが「沖縄の女性にひと目ぼれした」と話し、沖縄にいる真菜さんに毎日1時間ほど電話をする様子を見て、「感心したり、半ばあきれたりしていました」。
 その後、真菜さんの母親と沖縄の高校時代の同級生だったことが判明。拓也さんたちが結婚する際、真菜さんの母に「うちの拓也なんかでいいの?」と聞くと、「たーくんは、真菜のために生まれてきたんだよ」と返され、嬉しく思ったという。莉子ちゃんが生まれた後には、真菜さん莉子ちゃんと3人で食事をすることがよくあったといい、真菜さんについて「一緒にいるだけで心穏やかにさせてくれる、女性として尊敬できる人でした」と振り返った。

◆「ばあば、おなかすいた」
 真菜さんたちが松永さんの親の住むビルに転居したきっかけについて、沖縄に移住する準備のためと証言。毎日のように交流し、莉子ちゃんは「ばあば、おなかすいた」が口癖だったという。
 こうした思い出話が続く中、検察側の席に座る拓也さんは、眉間にしわを寄せ、涙をこらえるような様子を見せた。
 松永さんの母は、事故の数カ月前、莉子ちゃんの七五三の写真を撮りに行ったときの話も披露。莉子ちゃんは「初めてのお化粧」をし、自分で赤い着物やブルーのドレスを選んで「お姫さま気分でとってもうれしそうでした」と話した。
 「その数カ月後に遺影になってしまうなんて、誰が想像できたでしょうか」
 莉子ちゃんとおでかけした思い出を語り始めた。「ばあばと出かけよっか?」と2人で池袋のサンシャイン60へ。のどが渇いたころ、ちょうどマクドナルドがあったので、「マックいく?」と聞くと、「うん、莉子はリンゴジュース飲みたい」とリクエスト。莉子ちゃんは、ジュースを一気に飲み干し、「おいしい」とにっこりほほ笑んだ。莉子ちゃんの「マックデビューの日」だった。
 その後、書店で莉子ちゃんからおねだりされたノンタンの絵本2冊を購入し、おもちゃ店ではピンク色のバギーも買った。「おばあちゃんとしては大満足の一日でした」

◆「法廷ではしっかりしている」
 事故当日、ヘリコプターの騒がしい音がしていた。テレビでは、事故の様子が映っていた。息子の拓也さんから電話を受け、目の前の映像とリンクすると、夢か現実かわからなくなった。すぐに病院に向かったが、医師の言葉に「地獄に突き落とされた」。霊安室で2人と対面したが、顔を見ることはできず、冷たくなった手を握ることしかできなかった。
 自宅に戻った真菜さんと莉子ちゃん。拓也さんは夜、静まり返った部屋で莉子ちゃんの手をつなぎながら、泣きながら絵本を読んでいた。
 事故から1年半、裁判が始まった。「公判では罪を認める言葉が出ると信じていた」が、実際は「わけのわからないこと」ばかりだった。
 飯塚被告に対して、「一瞬にして目の前からいなくなって、どれほどつらいか。私たち家族の思いを想像したことがありますか」と聞いた。2人が乗っていた自転車が真っ二つになって返ってきた。被告が言い間違いと認めないことについて、「むなしくて、人として謙虚であるべきです」と語った。
 飯塚被告は「法廷では実にしっかりしている」と実刑を求めた。涙をすすりながら、自分の席に戻った。

◆14:40 拓也さんの父「3人で泣いた」
 拓也さんの父が証言台に立った。事故のあった日、拓也さんから電話を受けた妻と一緒に病院に向かった。急いでタクシーに乗り、「無事でいてほしい」と願った。車内のラジオは2人が心肺停止と伝えていた。祈る気持ちで駆けつけたが、担当医に「搬送された時点で死亡していた。おそらく即死でした」と告げられた。声を上げて夫婦で泣いた。
 遅れて拓也さんが到着した。「お父さん2人は?」。自分の口で言うのはつらかったが「ダメだった」。3人で泣いた。
 真菜さんの顔に複数の傷があった。「穏やかな顔でしたが、無念さがにじみ出ていることを感じ、身の震えが止まりませんでした」と振り返った。

◆「息子たちの人生をめちゃくちゃに」
 真菜さんと初めて会ったのは2014年2月。息子から「会ってほしい人がいる」と言われ、妻と顔を合わせた。「沖縄の両親の愛情を受けて育ったことが伝わる、つつましく明るい笑顔の方でした。真菜さんを見初めた息子を見直した」
 松永さんは、この年の10月に沖縄に挨拶に行った。その後に結婚式を挙げ、莉子ちゃんが生まれた。「スクスクと育って可愛い、優しい子だった」。真菜さん、莉子ちゃん、松永さんの娘の孫たちと幼児番組を見ていた時、莉子ちゃんは、あぐら座りをしていた松永さんの足の間にスッと座り、その後松永さんの顔を見上げて「しまった」という顔をして立ち上がった。「テレビの前に座り直したのがほほ笑ましい光景でした」。
 松永さんは「息子たちの人生をめちゃくちゃにして、反省の影もない加害者を心底、憎みます。厳罰を望みます。署名活動や慰霊碑建設に協力してくださった皆さまに心より御礼申し上げます」と語った。

14時50分 松永拓也さん「僕の一目ぼれ」
 妻と娘を亡くした松永拓也さんが意見陳述に立った。
 冒頭まず「あの事故により一人残されてしまいました。どれほど二人を愛し幸せだったのかを伝えます。懸命に生きて輝いていた31歳の女性と、たった3年しか生きられなかった女の子のことを知ってもらいたいです」と切り出した。
 「被告が無罪主張することで遺族が抱える苦悩を知ってほしい。最大限の刑罰を与えていただきたいです」と語った。

春のお花見に出掛けた松永さん家族(松永拓也さん提供)

 拓也さんは真菜さんとの出会いを語り始めた。
 「いつも真菜と呼んでいたのでこの場でも真菜と呼ばせていただきます」。真菜さんと出会ったのは、2013年、沖縄の母方の親族の集まりだった。「僕の一目ぼれでした。僕の話をずっと笑顔をで聞いてくれました」
 拓也さんは真菜さんと過ごした日々を「今でも色あせない大事な思い出」と語った。「人の悪口や愚痴を決して言わない人。心の底から尊敬していた」と話した。

◆「爐いい茘瓩瞭だよ」
 実は2度、交際を断られていたとも明かした。「真菜は姉を白血病で亡くしたと聞きました。沖縄を離れられないと話していました」。意を決して3度目の交際を申し込んだ時を振り返った。「真菜は『きょうは11月4日だよ』と言いました」。ここで拓也さんはきょう初めて涙で声を詰まらせた。「『爐いい茘瓩瞭だよ』と、照れくさそうに受け入れてくれました」
 14年5月にプロポーズすると、真菜さんは「うれしい」と泣きだした。「沖縄のご両親も真菜を遠い地域へ送り出す苦悩があったと思います」。翌年に籍を入れました。仕事から帰ると「お帰り」と出迎えてくれた。遠距離生活が長く、そんな日常を幸せに感じた。拓也さんは腎臓が悪く、真菜さんは「私が直してあげる」と食事に気を使ってくれた。拓也さんの体調は目に見えて元気になり「真菜のおかげで精神面でも成長させられた」と語った。
 15年のある日、真菜さんが拓也さんに飛び付いてきて「子どもを授かった」と言った。「毎日お腹に話し掛けて、真菜も『ベビーちゃん早く会いたいね』と話していました。つわりがひどかったのですが協力して日々を過ごしました」

◆莉子さん「愛される人に」
 莉子さんは誕生時、3170グラム。小さな命を抱き上げて真菜さんは「かわいい」と涙を流した。「小さな手で私の手を握り返した、そのぬくもりに『神秘的だ』と思いました。命を懸けて莉子を生んだ真菜に感謝しました」
 莉子さんの名前は、良い香りで人を幸せにするジャスミンの花に由来している。花言葉は「愛らしさ」だ。「人から愛される人に育ってほしいという願いを込めました」
 莉子さんは「真菜に似た恥ずかしがり屋」だった。友だちとのおもちゃの取り合いになっても「貸して」と言われると貸してあげる子だった。文字が読めないのに。家にある何十冊もの絵本を記憶していた。真菜さんが体調を崩すと、「お母さん、莉子をいっぱい抱っこしたから疲れたの?」と心配していた。
 拓也さんが休みの日には、3人で春は花見、夏は海や祭、秋は紅葉、冬は温泉に出掛けた。
 ある日、真菜さんが遠慮気味に「3人で沖縄に移住したい。海のそばに小さくてもいいから家を買いたい」と言った。拓也さんは「真菜らしくすてきな夢だ」と思い、2020年には沖縄に移住しようと約束した。

◆「見ない方がいい」
 19年4月19日だった。昼休みにいつものように真菜さん、莉子さんにテレビ電話をした。2人は南池袋公園で遊んでいて、拓也さんは「気をつけて帰るんだよ」と伝えた。
 午後2時ごろ、拓也さんに警察から電話が入り、2人が事故に遭ったと知らされた。電車で飛び乗って病院に向かう途中、携帯電話に「30代と3歳くらいの女性が心配停止」とニュース速報が入った。震える手で「無事でいてくれマナりこ」とLINEを送ったが、既読にならなかった。
 病院に着くと、2人は即死だったと聞いた。真菜さんの顔は冷たく、莉子さんの顔は看護師から「見ない方がいい」と言われた。葬儀業者からは、莉子ちゃんの顔を修復するには「3日間離れ離れになる」と言われ、断腸の思いで断った。

15:00 拓也さん「傷だらけのおでこに口づけをしました」
 松永拓也さんが、涙をこらえるような声のまま陳述を続けた。「2人の棺のふたを交互に開けて、ずっと語りかけました。真菜にはどれだけ愛しているのか、感謝しているのかを。莉子には、たくさんの幸せをくれたことに、ありがとうと」。
 鼻をすすりながら、ノンタンの絵本を何度も読み聞かせたことを語り、深夜に莉子ちゃんの顔を隠す布をめくろうとしたことも明かした。「少しめくっただけで分かりました。莉子の顔は完全に陥没していました。最後のお別れなのに、娘の顔さえ見えない無念さは計り知れないものでした」。葬儀中も、2人と別れることがつらく、何度も2人の棺を行き来し「傷だらけのおでこに口づけをしました」。
 事故後、「交通事故で亡くなる命を1つでも減らせるのではないか、そうすれば2人の命を無駄にしなかったよといつか2人に言えるのではないか」と考え記者会見に臨んだと説明した。
 その数日後、夢で真菜さんと会い「1人にしてしまってごめんなさい。あなたに出会えて幸せだった」と告げられ、「莉子は、この世に顔を置いていきたくないと言って泣くので、困っている」と言われたという。拓也さんは「胸がえぐられるような思いでした。その後も、悲嘆と葛藤と苦悩の日々でした」と語った。
 公判での飯塚被告の主張についての思いを語り始めると、涙をこらえる様子はなくなり、声が少し大きくなった。無罪主張に対しては「常識的にも、技術的にも無理があると思います。弁護人は無罪主張は無理があると進言しなかったのでしょうか」と述べた。
 飯塚被告に対して憤っている理由については「数々の証拠を突きつけられてもなお、荒唐無稽な主張を続けるのに対し、憤りを覚えているのです」とした。
 拓也さんが最後に刑罰について言及した。「刑務所に行き、命や無念と向き合う時間を持つことが心からの償いになる」とし「被告人には重い実刑判決を望みます」と述べた。

【全文】松永拓也さんの意見陳述 真菜さん莉子ちゃんとの幸せと、飯塚被告への憤り

◆15:30 検察官「アクセルペダル踏み続けた」

事故現場で実況見分に立ち合う旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(中央)2019年6月13日撮影


 一時休憩の後、車いすを押されて飯塚被告が法廷に戻り、再開した。検察の意見陳述が始まった。被告は、ブレーキを踏んだのに作動しなかったなど、車に異常が発生したとして無罪を主張している。
 検察側は、被告の車はトヨタの4ドアで、アクセルペダルを踏まないと加速しない点や、ブレーキペダルを踏み込めば、油圧式で物理的にブレーキがかかる点を指摘した。飯塚被告が新車で購入後、定期的に点検を行い、事故の直近の点検でもアクセルやブレーキに異常は見つかっていなかった、とした。
 飯塚被告は、検察官をまっすぐにみつめていた。
 検察官は「マンションから事故現場まで運転する間、アクセルペダルとブレーキペダルは正常に機能していた」「警視庁とメーカーが事故後に行った車両の機能検査でも異常の痕跡は認められなかった」と強調。鑑定を行った警視庁やメーカーの技術者らについても、事故の分析や画像解析の経験が豊富で、証言は信用性があるとした。
 検察官は、異常の痕跡がなく故障コードも存在しないことから、事故原因を「ブレーキペダルと間違えてアクセスペダルを踏み込み続けたことにある」と説明した。
 交差点左折時に時速60舛世辰紳度が、車両が縁石にぶつかったときに69繊∈能的に96舛泙撚誕したことからも、ブレーキペダルが踏み込まれておらずアクセスペダルが最大限に踏まれていたと考えられる、とした。

◆「ブレーキランプ点灯せず」
 検察側の主張が続く。飯塚被告の車のそばを走行していた証人らの「ブレーキランプは点灯していなかった」という証言の信用性を強調し「ブレーキペダルが踏まれていなかった」と結論づけた。
 また、飯塚被告の車の同型車で行った再現実験の結果から、縁石に接触した後、アクセルペダルを全踏み込みしたままの場合、事故現場では時速100キロほどになり事故時の記録と同様だったと指摘。ブレーキペダルなどに踏み間違えたときにつきやすい痕跡があったことも挙げ、飯塚被告が故意にアクセルペダルを踏んだとは認められないことから、事故原因を「ブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み続けた」と指摘した。

◆誤認識「常識的に考えられない」
 車の電子制御が誤作動したとする弁護側の主張については、電子系統に異常を感知する複数の仕組みがあることを一つ一つ説明。ブレーキペダルを踏んだのに、アクセルが踏まれたと車が誤認識する可能性について、「誤認識が同時に継続的に生じるとは常識的に考えられない」とした。
 飯塚被告が事故現場手前の交差点を左折時に「断続的にブレーキを踏んだ」と供述していることについても、加速の状況から「断続的に踏んだのは、ブレーキペダルではなく、アクセルペダルであったと認められます」とした。
 「アクセルペダル踏んでないのに、アクセルが高速回転した」「アクセルペダルが床に張り付いていた」など被告の主張について、検察側は「客観的な証拠と反している。不自然と言わざるを得ない」と指摘した。

◆16:00 検察「不都合な弁解に終始」

任意の事情聴取を終え警視庁目白署を出る旧通産省工業技術院の飯塚幸三被告=2019年5月撮影


 うつむいていた飯塚被告に、突然、傍聴席から「寝てるんじゃないよ。居眠り」と大きな声が飛んだ。裁判官が「静かに」と制止した。
 検察側から「ブレーキとアクセルを踏み間違え、車を暴走させた。踏み間違いの過失はあまりにも初歩的で基本的な操作の誤りだ」と主張した。
 今回の事故を起こす前に、少なくとも5回は物損事故を起こしたことや、踏み間違え防止機能の付いた車の買い換えを検討していたことから、「能力の衰えを認識していたか、衰えつつも能力を過信していた」として、高齢であることの酌量はないと訴えた。
 飯塚被告が無罪を主張していることについて「不都合な弁解に終始している。遺族や被害者に心からの謝罪がなく、さらに傷つけ、絶望を与えている」として、禁固7年を求刑した。

◆16:15 遺族側弁護人「執行猶予の余地なし」
 遺族側の弁護人は、飯塚被告が、加齢に伴う認知機能の衰えを自覚していながら漫然と運転を続けていた、と批判した。東池袋の交差点を左折する際の判断について「カーブを左折する際、正常であれば、先行車両が複数台いたら同時に追い越そうなどと思わない」「縁石に衝突する前に、避けようとハンドルを右に切ったが間に合わなかったのも、加齢のため交通環境の変化に適切に対応できなかった」とした。
 「アクセスペダルとブレーキペダルの踏み間違いはない」と飯塚被告は主張している。弁護人は「アクセスペダルとブレーキペダルでは圧力が全く違うのにそれに気付かないのは身体能力の衰えだ」と述べた。
 事故当時、被告は歩行時につえを使っていた。「歩く時はふらついたからつえをついていた。座って運転するには全く問題がない」として運転を続けたことについて、弁護人は「自分勝手な言い分だ」「唯我独尊の極み」などと指摘。「罪を認めず無反省の態度が遺族を一層苦しめている」と述べた。
 弁護人は、今回の事故で被告の主張が認められるならば、今後、高齢者の運転で踏み間違いや逆送による事故が起きた際に、被告と同様の主張が認められかねないと説明。「執行猶予の余地は全くない」した。飯塚被告はじっとうつむいて聞いていた。

16:30 弁護人「無罪を求めます」
 飯塚被告の弁護人に切り替わった。弁護人は「無罪を求めます」と話した。事故当時に飯塚被告がブレーキペダルを操作するべき状況にはなかったこと、また、アクセルペダルを踏み続けたという検察側が主張に対して、明らかな裏付けは存在しないこと、この2点について説明を始めた。
 駐車場などで踏み間違え事故が起きる原因について、上半身をひねる動作の影響で足が左右に動いてしまうメカニズムがあるとし、「本件は今、述べたような踏み間違え事故が起きるような状況とは違う」と主張。
 踏み間違えに気づくかどうかについても、「加速の開始から衝突まで10秒の時間があり、操作ミスを認識して対応する時間があったと言える。異常を認識しながらアクセルペダルを踏み続けること自体が不自然」とし、ブレーキとアクセルの踏み間違いを否定した。

◆「踏み間違い考えられない」
 さらに、ドライブレコーダーの映像をもとに、事故現場手前の交差点に入る直前まで「車間距離を保つ運転をしていた」とし、「踏み間違いが起きるとは考えられません」と主張。ブレーキランプが点灯していなかったかどうかについて「明らかにする証拠はありません」と言及した。
 その後も交差点内での車線変更について「急なハンドル操作をしていない。ブレーキを踏むような状況にあったとは言えません」と述べるなど、ブレーキと間違えてアクセルを踏んだとする検察側の主張を否定し続けた。また、車の記録装置に残っていた事故直前のアクセルの状況に関するデータに対しては「このような信号を受信したことを示すのに過ぎない」とし、電子系統の不具合が起きていた可能性を「排斥するものではない」とした。

◆16:45 飯塚被告の弁護人「ブレーキ操作した」
 飯塚被告の弁護人は、車にブレーキを踏んだ記録があるとして、飯塚被告は「ブレーキを操作していた」と主張した。また、足を上げてアクセルペダルを見たと証言について、「暴走の原因を知りたいと思った。右足をあげて元に戻すのに、1秒もあれば足ります」と述べた。真菜さんの父、上原さんは弁護人を厳しい視線で見つめていた。
 弁護人は、暴走した車のスピードの計測方法が統一されていないことや、計測に使った防犯カメラの画像が広角レンズで一定の誤差があることなどを指摘した。
 さらに、「電子的なエラーを再現できない故障は電化製品である。たまたま本件事故で異常が発生したことを否定しない」と訴えた。
 一方で、ドライブレコーダーの映像と飯塚被告の証言には「齟齬がある」と認めた。ただ、車が高速で走っていたので、「車外を正確に認識し、記憶できない。恐怖心やパニックに陥っていたことも加味する必要がある」として、食い違いがあっても不自然はないとした。

◆「苛烈な社会的制裁」
 そんな中でも足をあげてペダルを確認したことは「通常行わない動作だ」として、記憶は正確だと主張。「足を上げてペダルをみたと供述していた。公判の証言は信用できる」とした。
 弁護人は「本件事故について若干補足させてほしい」と話した。事故直後からマスコミやソーシャルメディアにより、「踏み間違いが事故の原因」と断定的に報じられ、私人の飯塚被告があたかも有罪のごとく扱われた状況などを説明。「氏名不詳者による数々の脅迫にも悩まされた。苛烈な社会的制裁と言える」と強調した。

◆17:05 飯塚被告「もっと早く止めていれば」
 飯塚被告は「最後に言いたいことは」と裁判官に聞かれ、証言台で車いすから立ち上がった。「まず被害者のお二方、そのご親族のお気持ちを先ほどからお話しいただきました」と述べ、松永さん、上原さんらの座る方を見た。「その気持ちを思うと心苦しい思いでいっぱいです。しかし、アクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違えたという記憶は全くございませんので、裁判を通じてそのように話をさせていただきました。今も、そう思っております」ときっぱりと述べた。
 「結果論でありますけど、日常の活動に必要と思っていたが、もう少し早く運転を止めていればと反省しています」と続けた。
 「最後に、松永真菜さんと莉子さんが亡くなったことを本当に、本当に申し訳なく思っております。今後もお祈りさせてもらいたいと思っています」。松永拓也さんは目を閉じてその言葉を聞いていた。
 飯塚被告は「けがをされた被害者にも申し訳なく思っております。早く回復するよう祈っております」と話した。

◆判決は9月2日
 裁判長が判決は9月2日午後2時からと言い渡し、結審した。



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